この2-3日、蕪蒸し(豆腐と銀杏入り)、豆腐とコンニャクの田楽、ブリ大根、大根と牛肉の炊き合わせ、と、私の好物の冬の料理が並んだ。蕪も丸大根も巨大で、値段も立派(?)なものだったそうだが、それにふさわしい味である。
3日前だっただろうか。まだ少し明るい空に三日月が光っていた。とても滑らかで光が強い。近くの空の紫がかった雲はまさに刷毛で掃いたような姿をしていた。
今日は「丸大根とお揚げのたいたん」と穴子寿司。丸大根は京都に来るまで知らなかった。それとお揚げ(東京では、あぶらげ、と言った!)を炊く、というのは京都の定番らしい。これなら私でもなんとかできる、と、両親が京都に来たときに作って出したら、喜んでくれた。もっとも不器用な娘が作ったものならば何でも褒めてくれたのかもしれない。
大根やコンニャクの味噌田楽もこの季節。そのうち新玉ねぎが出ると、その味噌田楽はなんとも言えない味わい。冬も悪くない。
先日珍しく6時ころに目が覚めた。もう朝だから、とカーテンを開けてみたら真っ暗だ。なんだか不気味な気がして大急ぎで閉めてしまった。その後7時ころに起きたときにはさすがに朝で、南の空は紫がかった灰色の雲が山並みのような形をして、その上の白い雲に朝日が当たり、雪山を見ているようだった。空は見飽きることがない。
風邪はすっかり治ったようだ。
一昨日、私の風邪を治すためにパートナーが、夏から冷凍庫に保存していた穴子で穴子丼を作ってくれる予定にしていた。そこへまた穴子が尾道から届いたのである。大きくて立派だ。新旧の穴子で山盛りの丼で、すっかり元気になった。今日は久しぶりに走った。
尾道からの贈り物の穴子は貴重なので、私が「大事に食べよう」というものだから、いつどのような料理にするか、には慎重だ。「神棚に祭っておくか?」とパートナーがからかうほど。でも最近は良い穴子が入手できにくくなっているそうだ。海の異変は色々とニュースになっているから、その一環かもしれない。
もう一つ今の季節の楽しみは冷凍の焼き栗。丹波栗を焼いて冷凍で送ってもらえる。高価なものだが、年一回のことだし、温めるだけで、皮も簡単に外せる。栗は茹でても焼いても皮剥きが大変で、なかなかうまくいかない。そのストレスなしに丹波栗が食べられるのは嬉しい。
一昨日の夜、急に喉がチリチリと猛烈に痛くなった。傷口に辛子でも塗られたような、経験したことの無いような痛みだった。そのときカレーの風味がした。夕食にカレーを食べたことは確かだ。カレーの成分が胃から上がってきたのだろうか?でも胃の調子は別に悪くない。うがいしたり牛乳を温めて飲んだりしているうちに収まったが。で、昨日になって普通に(?)喉と気管支に違和感を感じるようになった。しかもだるくて眠い。夕方から横になってしまった。市販の薬は副作用が強くて飲めないので、しかるべき漢方薬を飲んだら、だいぶ良くなった。今朝は昨日の症状はとれたが、頭痛や筋肉痛がする。これも同じ薬で収まった。念のために家で抗原検査をしてみたが陰性である。3年近く風邪もひかず、身体の不快感を忘れていたのに、と、がっかりした。普通ならば風邪と信じて汗をかくくらいの運動で治そうとするのだが、今のご時世、風邪かインフルエンザかコロナか、と疑心暗鬼で、うだうだと過ごすしかない。
今朝、昨日出来たばかりのヨーグルトを取り出そうとしたとき、何故か手から滑り落ちて、冷蔵庫も床も容器のガラスの破片とヨーグルトで大変な様相になった。しかも冷蔵庫で割れた瞬間に破片が飛び散ったらしく、腕のあちこちに傷ができて、血が噴き出していた。「大変、大惨事!」と大声で叫んでパートナーに駆けつけてもらった。私が傷の手当をしている間に片づけてくれたが、ガラスの破片とヨーグルトという取り合わせの清掃は大変だっただろう。ということで今朝は古い残りのヨーグルトを少量で我慢してもらった。最近あまり食器を落とすことがなくなっていたのだが、そそっかしさは直っていないようだ。
昨日は新鮮なサンマの塩焼きを今年初めて食べた。焼いて袋詰めにしたものはすでに食べて、これも案外美味しかったが、内臓つきの新鮮なサンマはやはり嬉しい。サンマの漁獲量が極端に減少しているとか、値段が高騰しているとかいうニュースを聞いていたので、まともな値段で手に入ってほっとした。昨日はまた何年ぶりかでスチューベンにお目にかかった。イオンに珍しく出ていたそうである。数個をそのままで食べて、ジュースと、残りの皮と実でソースを作ってくれた。やはり美味しい。明日の夜には新しくできるヨーグルトにこのソースをかけてデザートにしたい。
昨日、今日はまさに秋晴れ。昨日は雲一つない青空の下を東山ー丸太町間を徒歩で往復した。最近は眼科に行くのにこの間を歩くことにしている。バスに乗りたくないし、待ち時間を考えれば時間的にも大差ない。何よりも歩くことが気持ち良い。人通りも少ないので自分のペースで歩ける。行きは予約時間があるので東大路を真っ直ぐ歩くが、帰りは裏道を通ったり、わずか遠回りをして疎水沿いを歩いてみる。
近所に、盛夏の花と思っていた芙蓉がまだ咲いている。何年も前、父が入院していたとき、8月に1週間ほど実家に滞在して毎日見舞いに行った。家の近くの坂の途中の空き地に大きな芙蓉の木があって、薄いピンクの大きな花が満開で、静かに凛と咲いていた。それ以来ピンクの芙蓉を見ると、東京の暑い夏の日々を思い出す。
以前、倒壊しそうな(そう見えた)古い洋館の石塀の外に立派な白い芙蓉の木があった。実はその館は有名な建築で、あるとき京都工繊大の有志が関わって公開された。中は良好な状態で、2階からは見晴らしも良く、倒壊とは程遠いものだった。
金木犀や朝顔がまだ咲いている。玉すだれも咲き始めたが、我が庭には咲きそうにない。雑草を大事にし過ぎて駆逐してしまったのだろうか。ミズヒキ草が庭中に広がり始めた。
プリズム入りの眼鏡でコンピュータの文字がすばらしく見やすくなって、今でも感激している。長年の癖でいつの間にか眼を画面に近づけたりしているが。ただしこれはコンピュータ仕様に特化しているので、外出用には古い普通の眼鏡をかけていた。それでは、空の鑑賞では月も星もそれぞれ2個見えるし、駅の電光掲示板の文字が二重になって読めなかったりする。読書は裸眼で文字を目に近づければできるが、目には良くない。ということで、読書用と外出用の眼鏡を新しく作ってもらった。距離によってプリズムの度(?)や乱視の度が違うようだ。外出用では左のレンズが分厚く、フレームからはみ出しそうである。これを掛けて月を見たら、少し太った月が1個きれいに見えた。土星も木星も1個ずつはっきり見える。やはり気持ち良い。自分の顔はできるだけ眼鏡なしで見たい!
この辺りは最近台風の影響をあまり受けず、幸運であるが、台風15号が静岡県に甚大な被害をもたらしたということで、色々記事を見てみた。静岡市内も大変だったようだし、いつもお茶を購入し、以前訪れたことのある川根本町でも川の堤防が崩れたりしたらしい。静岡は雨量が多く、降り方が強いことは2年間住んで経験しているので気にしていたが、今回は大きな災害だったようだ。後片付けも大変だろう。
カナダの東端を襲ったHurricane FionaはNova Scotiaを含めてやはり甚大な被害を与えたそうで、写真を見ても何本もの木が電線を道連れに倒れたりしている。家が海に流された、という報道もある。2年間住んだNova Scotiaは秋口には雨も多く、一年の半年以上雪がある土地ではあるが、それは例年の気象であり、とくに災害のある場所ではなかった。ハリケーンなんて聞いたこともなかった。そんな大災害に遭うなんて信じられない。海洋の温度が上がって、ハリケーンの威力が衰えないのだとか。
過去に住んだことのある土地が二か所も2-3日の間に災難に見舞われたことは、衝撃である。
草むらに見慣れないピンクの花が咲いた。スマホで検索したところアレチヌスビトハギらしい。北米原産の帰化植物で、はびこると厄介だから抜きましょう、という記事がある。最初カタカナの連なりをアレチヌ+スビトハギと読んだので、全く意味が分からなかったが、要するにヌスビトハギの仲間だ。他にやはり北米原産のイリノイヌスビトハギというのもあるらしい。
昨晩はISSを見ることができた。今回は西南から現れて北東に消えて行った。速いとも言えるが、慌てなくてもはっきり見えるくらいの速度である。飛行機が3機交差(?)したのが面白かった。
鹿はその後もやってきて木をかじっているようだ。パートナーが鹿よけの赤い細い旗のような布をフェンスに取り付けた。鹿の嫌いな色で、さらに嫌いな匂いがしみこませてあるそうだ。知らない人が見たら、神社の祭りみたいかもしれない。それと鹿の嫌いな匂いの液体も買って、古布にしみ込ませて、食べられそうな木にぶらさげた。蓋の閉めてある入れ物に近づいただけで強烈な匂いである。人間避けにもなる?
検索してみると、鹿の害と対策の記事がたくさんある。たくましい生き物で、必要に応じて身体能力が上がるし、いざとなれば今まで食さなかった植物も食べる、ということだ。鹿が食べない植物の一覧が上がっているが、なじみのない名前ばかり。庭の木はすべて餌食になりそうだ。鹿がやってくる庭は人間にも好ましい環境だと思うが、それを破壊されては困るのである。
ヤブランが咲いた。近所の塀から萩が垂れ下がっていた。そのままで絵になりそうだ。
いつの間にか8月がいなくなってしまった。ボケが「朝顔の木」になり、ネコジャラシやカヤツリグサが全盛だ。赤まんまやムラサキツユクサも毎日数本咲く。今日は気温が30度を切っているようだ。湿度が高いので暑く感じるが。最近は青や水色の空も白い雲も透明感があり、モクモク雲は見られなくなった。近隣では萩やムクゲが咲いている。このままじわじわと秋になってしまうのか?ミンミンゼミが毎朝数分鳴く。すぐにツクツクボウシにとって代られるのだが、どういう事情なのだろうか。夜には秋の虫の音の大合唱だ。
今年は春や梅雨時の花が少しづつ延々と咲く。合歓、ヤマブキ、梔子、タンポポ。夏の花ではあるが、切り株の横から成長した百日紅の枝に花が咲くようになった。昨日は耳元で「オーシーツクツク」と聞こえるので驚いたら、セミがすぐ横の網戸にしがみついて鳴いていた。
昨日のこと。 鹿の姿を見たわけではないが、状況証拠で鹿の仕業に間違いない、ということになった。白梅が葉だけでなく枝まで齧られていた。鉢植えの楠2本が倒されて、1本は途中から折れて小さくなってしまった。紫陽花の葉も食べられた。「鹿が庭に来る」なんて楽し気に言っていたが、甘かった。ほっておくと、庭の木々があれこれ無残な姿になってしまう。パートナーが鹿よけのグッズを2-3種類注文した。それだけで被害を止められるかどうか分からないが。
庭を見回っていて気が付いたのが、野菊のような花が数個咲いている。野菊にしては季節が早すぎる。またスマホのお出ましだ。そのお告げによるとコヨメナという名前である。ヨメナの仲間で、ヨメナとはこのような花の総称で、野菊とも関係あるらしい。薄紫で、芯が黄色い。ところでキクという野生の花はないのだそうだ。菊は栽培種のみなのだとか。
今年初めてトンボが庭にきた。胴体が黄色い。パートナーがシオカラトンボだろう、というのだが、シオカラトンボは胴体が灰色ではなかったか、と思って、またスマホのカメラ機能で調べたら、やはりシオカラトンボと出た。後で検索してみると、灰色は雄で、雌と子供は黄色いとのこと。そのためムギワラトンボとも呼ぶそうだ。スマホ、役に立つ!
キツネノカミソリが裏でひっそりと咲いている。朱色の花は他にヒメヒオウギズイセンが7月に玄関の前に咲く。どちらも質感があって、良い感触だ。キツネノカミソリはヒガンバナ科で、花言葉は「妖艶」だとか。
朝顔に鹿、なんて絵画の構図になりそうだが、そういうことではない。パートナーが棒を立て、綱を絡めて朝顔の蔓が巻き付けるようにしていたところ近くの蔓が上まで巻き付いて大きな葉が育っていた。昨日の朝、そこの葉がほとんど食われていた。フェンスの横の兎の飾り物が倒れていたことからも、鹿の仕業だろう、ということになった。朝顔の葉はそこら中にあるのだが、低いと食べにくいのだろう。例の鹿はこの辺り一帯を自分の庭だと思っているようだ。
今日はコンクリの上でマイマイが必死で這っていた。土や草のある一角から別の一角に移動するにはどうしてもコンクリートを通らなければならない。気の毒だがつまんで動かすよりは自力で移動するほうが良いだろうと、しばらく眺めていた。身体全体がゆらゆらと動く。カタツムリの移動をこんなふうにゆくり眺めたのは初めてだ。で、これがどのマイマイなのか、よくわからない。土地によって色々らしい。イセノナミマイマイが一番似ているかも。
5年間使ったスマホが正常に働かなくなったので、買い替えた。今まではソフトバンク、今回はY!mobile。私はほとんどの用事をコンピュータで行うので、スマホといっても使う機能はものすごく少ない。電話、ショートメッセージ、カメラ、位置情報、くらいだ。他の機能が付いていない製品があれば良いのだが、そうはいかない。「簡単スマホ」というのがせめてもの救い。しかし便利な機能もある。今まで見たことのない小さな花をつける蔓植物が庭の木に巻き付いていた。白い花弁で真ん中が赤い。カメラ機能で「レンズ」を選び、花の近くにスマホを持っていき、ボタンを押すと、情報を取得して同じ花の写真と「ヘクソカズラ」という植物名が表示された。可愛い花なのに気の毒な名前であるが、後で調べてみると、葉や茎を傷つけると悪臭がするからだそうである。しかしその根などには薬効があるとか。小さな虫にも試してみたが、これは「昆虫」としか分からなかった。(それくらい自分で分かるよ!)また知らない草花を見たら試してみたい。
ケープタウンブルーが昨日から咲き始めた。
昨夜けたたましい音で起こされた。緊急避難勧告か指示かの知らせがスマホに来ていて、さらにそれを読み上げている。松ヶ崎と西のほうの二か所。どちらもはるか遠くである。時計を見たら23時45分くらい。眠ってまだ20分くらいだ。災害が降りかかっていないのは幸いだが、そういう時には良く寝ておきたいものだ。まもなく眠ってしまったが、とてつもない音というより響きで、がらんとした倉庫のようなところに巨大な落下物があったような夢らしいものとともに多少目が覚めた。家が振動するようなすごい雷鳴らしい。眠くてはっきり目が覚めないままにまた寝てしまったが、朝になってパートナーが調べて5時頃だったらしい、ということだった。この夏は急な豪雨に何度も見舞われた。雷もよく鳴った。夏の夕立というのとは異なる。この辺りは降りやめば何事もなかったかのようになるが、全国あちこちで大雨の災害が起こっている。そしてもう8月も半ば過ぎてしまった。高温続きといっても多少は低くなっているし、日も短くなってきているので、セミはほとんどツクツクボウシだし、夜には秋の虫がリンリンと鳴いている。今日は勝手に生えたケープタウンブルーが咲いた。
今晩の月は丸く見える。黄色く明るい。調べてみると96%。本当の満月は明日の10時36分・・・月はとっくに沈んでいる。英語圏ではsturgeon moonというそうだ。チョウザメの漁の最盛期だから、ということ。生活に密接に結びついている呼び名。
立秋が過ぎても高温続きであるが、日の出が遅く、日暮れが早くなっているのが実感される。庭ではツクツクボウシが鳴いたり、秋の虫が鳴いたりする。最近はモクモクの白い雲が突っ立っていることがよくある。東西南北どこでも見られる。東の山の背後から現れる入道雲ではない。空の青さが透明なのは空気がきれい、ということなのだろうか。
左目手術から半年経った。その後の眼鏡の新調などで、良く見える。「見える」というのはこういうことなのだ、と改めて知った。目の疲れもない。手術の後遺症みたいなのは全くない。眼鏡はコンピュータ仕様になっているので、空を見るときには従来の外出用眼鏡のため、月は相変わらず2個見える。印刷物はかなり目の近くに持ってくればなんとか読める。不思議なことに裸眼で鏡を見ても目は2個になった。
入院といっても身体は元気なので(頭脳だって明晰だ!)気づくことも考えることもあって、良い経験であった。2月はコロナ第六波の最高潮だった。ヴィールス対策は行き届いており、各科の病室群に入る前に様々な儀式(?)がある。PCR検査も受けた。入院時には荷物や手続きがあるのでパートナーが付き添ってくれたが、病室に居られるのは10分限りである。職員の方々はマスクだけでなく飛沫防止用のアクリル眼鏡をつけておられたので、目の悪い私には顔の識別は難しかった。我々もマスク着用は当然であり、お湯は汲みに行けるが、ロビーでの飲食は禁止。予め渡された冊子に、「随時病室の変更が有り得る」と書いてあり、「仮にも病人だ、突然部屋を変わるというのはどういうことか?」と驚いていたが、実際にそれが起こって理由が分かった。手術の前は病室で静かにしているように、という指示にしたがっていたところ、突然看護師長さんが来られて、「今から部屋を変わってもらいます」と言われ、衣類その他の荷物はすべてベッドの上に載せるように、とのこと。静かに、どころではない。訳も分からないままにあたふたと命令(?)どおりにして移動した。ベッドもテレビもすべてあっという間に動かせるようになっている。後で分かったことは、コロナの濃厚接触者が出たせいで、色々な配慮が必要なのだった。一人部屋なのに何故動かされるのかまでは分からなかったが、ともかくこのご時世のせいなのだ。病院での勤務はいつも緊張に包まれているのであろうが、コロナ禍のなかでは普段の何倍も大変だと思う。そのなかで全員がきびきびとしかも病人が安心していられるように行動される姿には感謝と敬意を覚えずにはいられない。コロナ病棟ではそれよりはるかに厳しいだろう。感染しないことが私たちのせめての貢献だと思った。
面会はもちろん不可。ラインとスマホで顔も見れるし部屋や食事の様子など写せるので問題なかった。八階の南向きで市内が見渡せるし東山も西山も一望である。そう言って喜んでいたら「旅行気分だね」と笑われた。家とは違ってあまりすることがないので、夜は早く寝てしまう。そのために暗いうちに(2月初めだから遅くまで暗い)目が覚める。窓の外を見たら、月が東山の上のほうに眩しいほど輝いていた。広い空間の上の月というのは初めてで、なんだか神秘的な感じがした。次の日はもう少し遅く目が覚めて、東山の夜明けを見ることができた。黒い山の端が赤くなっている。以前修学院の辺りに住んでいたときにベランダに出れば見れたのだろうが、元来寝坊である。無駄に(?)早起きなどしないので、こういう風景には縁がなかった。食事は薄味で丁寧な調理である。3食しっかりご飯が出るのだけはちょっと困った。普段基本的に2食で、お昼はちょこっと何か口に入れる程度なので。食後に食器を移動式の棚に持って行くのだが、お盆を差し込むと食器がどこにあってもすっと落ち着くようにできている。
病院では検査の段階から、非常に複雑な情報が即時処理されているようで、感心していた。これも患者に安心感を与える要素である。IBMがシステムの担い手だ、とWeb-siteに書いてある。システム構築がいかに大事か、は、失敗した組織のニュースからも分かる。もちろんシステムが良いだけでは組織は機能しない。人材とその養成が行き届いているのだ。ともかく初めて知ったことばかりであった。
黄色い糸月が西の空にかかっていた。満月とは違った風情がある。
夜ISSが見れるというので、パートナーが時間や軌道を調べて、8時12分頃に道に出て待っていると、北西の山の辺りから赤味を帯びた大型の星のような光が上がってきた。大きさがあってゆっくり動くので、私でもしっかり追うことができた。ほとんど真上にきて、それから東南に消えていった。前回は2階の窓から見たが、何時だっただろう。
最近は高温が続くが、空の青さと雲の白さが毎日美しい。花の白さには色々あるが、雲の白さも濃淡いろいろだ。刷毛で掃いたような優しい雲もあるし、もくもくと眩しい白さの塊が山の背後から突っ立って上っていることもある。夏の入道雲と言えるようなものが何故か見当たらない。こんな暑いときにむらさきつゆくさが一輪ずつ咲いたりしている。猫じゃらし、夾竹桃の花、そして何故か合歓の花。
京都はあまり雨の被害は無い、と思っていたが、火曜日の朝まだ眠い頃にあまりにすごい雨の音で怖くなって起きてしまった。災害を心配したのではない。その音の強さそのものが怖かったのだ。午前中にもう一度そのような雨になった。時間が短かかったかので、その瞬間は道路が滝になっただけで、この付近はとくに災害にはならなかった。中京区や東山区では避難指示が出たようだ。午後には雨はほとんど上がり、歯科医院に行くために三条まで出たが、どこもいつもと変わらず何事もなかったように落ち着いていた。ただ、周り中の山々が雲に覆われて、近くの山科の山でさえ、下のほうが少し青みがかっている以外は雲の中だった。鴨川の濁流は力強く、段差のあるところでは大きな渦を巻いていた。
山吹の花が一輪。コンクリートの上にカタツムリ。ギュリキマイマイのようだが、少し小型だ。随分久しぶりに見た。
椰子の実、最近はココナッツと呼ばれる。丸ごとのココナッツは初めてだ。ストローがついてきて、まずそのジュースを飲む。独特な味と風味でおいしい。白い部分を削りとって水を加えてフードプロセッサーにかけて絞ると、ミルクと繊維に分かれる。ミルクにバナナを加えてアイスクリームを作り、繊維の部分は後日使用することになった。パートナーが奮闘した結果である。私は昨日は納豆、今日は5分でセットできる甘酒を作った。
春には鶯がよく庭で鳴くが、今年は夏になってときどきやってくる。今日もひとしきり素晴らしい声を聞かせてくれた。
今朝のんびり朝ごはんを食べているときに、先に食べ終えたパートナーに大声で呼ばれた。「早く、早く!」、そして「鹿!」。眼鏡をとる暇もなく駆け付けると、庭の隅の木陰に大きな鹿が後ろを向いてじっと立っている。茶色い毛並み、お尻の辺りは白。薄茶色の大きな角。何を見つめ、何を考えているのだろう。そのうちにこちらを向いた。慌ててスマホをとりに行った。ガラス戸越しでも何かは写るだろうとカメラを押した。引き伸ばしてみるとわりとはっきり写っている。そのうちに急に走って視界から消えた。その方面の窓は開けていなかったのでどうやって道に出てどこへ向かったのかは分からない。フェンスを飛び越えて行ったのだろうが、特に高くはないとはいっても、跳躍能力は相当なものなのだろう。
ようやく鹿を、しかも庭で見れたことで、すっかり興奮してしまって、その姿が頭から離れない。幸福な興奮である。
6月の花々が色褪せてきて、ヒメヒオウギズイセンが咲いた。7月だなー、と思わせる。今年は山鉾巡行を実施、とか。大丈夫なのだろうか。「経済を回す」という御触れがあっても、ヴィールスがいなくなるわけではない。そういうことを忘れずに行動することが感染拡大を防ぐのだと思う。
今日は雨で気温も下がったが、昨日までの猛暑はそれまでが涼しかったので、衣類の入れ替えなどあたふたした。私は暑さが好き、といっても身体が暑さ好きかは分からない。熱中症には気を付けることにしている。気温が上がってもセミはまだ準備ができていないようで、夏らしい音はまだだ。
母の実家に古い本がたくさんあった。漱石など文学作品が並ぶ小さい図書室みたいな部屋があって、小学生のときからツルゲーネフの翻訳など読んだり、漱石は中学のときにほとんど読んだ。しかし納戸に雑多な本や雑誌が積まれてもいた。そのなかに「小太郎と小百合」という絵本(?)があった。白馬の夢を見て、朝枕元に白い百合が置いてあると、その人は死ぬ、という出だしであった。その後の話は全然覚えていなかった。元々怖がりな子供にとって、この冒頭はとても怖くて夜が恐ろしかった。その後長く忘れていたが、なぜか大学でフランス語を専攻した友人とこの物語の話になって、彼女によるとアナトール・フランスの影響を受けたとか元があるとかいうことだった。詳しいことは忘れた。その後また長く忘れていたが、数年前にまた思い出して検索してみたが、見つからなかった。そしてまた数日前に突然思い出して検索したら、今度は国会図書館デジタルコレクションに収納されていた。それは絵本ではなく99ページの本である。著者名も初めて知った。さっそく読んでいる。童話であっても文章が丁寧だ。旧仮名遣いでも瞬時に置き換えできるから、つまずくこともない。なんだかほっとした。
今年はビワが数か所に実った。一度試食したが酸っぱかったのでもう少し待とう、ということになった。パートナーが鳥よけに袋をかぶせてくれたのに、私が「太陽に当たらないと熟さないのでは」などと言ったので、袋を取っておいたところ、一番良い房をきれいに食べられた。一か所だけ残った房に紙をかぶせてもらって、今日3個食べることができた。酸味が強いが、みずみずしくておいしい。
今日は天気が良く気温が30度くらいになって、気持ちよい。今年初めてのクロアゲハがやってきて、大量に咲いている合歓の花から花へと長いこと滞在していた。黒くて大きくて迫力がある。
斜視と言われてからいろいろ検索してみた。情報は無数に(?)ある。私の場合、今頃なぜ突然?と思ったが、手術によって斜位(隠れ斜視ともいうらしい)が顕在化したのだろう、ということだった。詳しくは様々な斜視・斜位・弱視があるようで、多少とも左右の眼がずれていることは、普通ということだ。それは分かる気がする。人の顔を左と右別々に写真をとると、ほとんど別人に見える、ということを聞いたことがある。むしろそれが人の顔を作っているのだろう。ある程度までならば神経が緊張して是正するので、本人も気づかずに過ごす。しかしそのために目の疲れ、頭痛、肩こりなどが起きやすい、とある。また、距離を正しく図れないことや、他人の顔の識別がうまくいかないこともあるそうだ。
こういうことを知って、とても納得した。以前から目の疲れ、目の奥から始まる頭痛、肩こりに悩まされてきた。身体を動かして血行を良くすることによって何とか生きてきたようなものだ。(そのお蔭で健康が維持できているのかもしれない。一病息災ということか)強度の近視は遺伝的な眼球の形による、と祖父、父、私の三代を見てくださった眼科医が言われたが、眼鏡を作って視力検査をすれば1.2まで見えても、大学の大教室では黒板の文字が読めなかったりしたし、目が疲れて、もう勉強は無理か、と思ったこともある。(コンタクトレンズでかなり改良された)山歩きが好きだったが、上りは問題ないが、下りは距離が測れなくてどの程度足を下せば良いのかが分からず怖かったものだ。人の顔の認識は自信がない。知人でも状況によっては違って見えたり、知らない人に間違って挨拶したこともある。それらすべてを近視のせいだと思っていたが、斜位のせいだったのかもしれない。人間、理由が分かると、なんとなく安心するものだ。今は良く見えるし目が楽だ、という感触がある。
レンズはちょっと見には普通なのだが、ある角度から見ると、左用のレンズには円弧が数個見える。右に比べて少し厚い。それでも重くない。こんな風にプリズムが組み込まれているのだ、と感心する。科学・医学・技術の発達に感謝。
プリズム入りのレンズができて、コンピュータ仕様の新しい眼鏡をかけるようになって、3日目。乱視の調節もしてあって、とにかくきれいに見える。長いこと「なんとなく見える」状態に慣れていたので、これではかえって疲れるかも、と思ったが、そういうことではない。やはり正しい眼鏡は良く見えて、眼も楽だ。
で、話せば長いことながら・・・2月初めに左目の手術を受けた。「高難易度の手術だったが、予定通りできた」、そしてその後も「順調、順調」と言われた。実際にときにはあるらしい頭痛などもなく、目薬も一定期間の後には不要になった。片方ずつ検査すれば左右ともに矯正視力は1.0である。ところが両目では物が二重に見える。とくにコンピュータの距離では、1行の文字列が左目では左下にずれるので、次の行と重なって、何を見ているのか分からない。メールのフォルダ一覧がメール本体の部分に押し寄せるので、どこをクリックすべきか分からない。入力をした結果が読めない。印刷物は目の近くに持ってゆくと何とか読める。遠くはぼんやり見えれば良いので何とかなる。しかしコンピュータが使えなければ、ほとんどすることがない。検診のときにその旨伝えたが、最初は主治医も首を傾げていた。色々話したり質問に答えているうちに「斜視か」と言われて後日検査を受けたところ実際に斜視ということで、担当医も代わり、とりあえずプラスチック(と思う)のフィルムで出来ているプリズムを古い眼鏡にはりつけただけで、正常に物が見えるようになったのである。右は縦、左は横に筋の入った薄いフィルムでこれだけの効果があるのだ。私の知っているプリズムとはガラスのごっつい三角柱である。それをレンズに組み込む、と聞いて驚いたのだが。後日詳しい検査結果による処方箋を持って眼鏡屋さんに行き、無事新しい眼鏡を使えるようになった。月も1個になったし人の顔には目が2個だけになった(!)この眼鏡でないと、月は2個、目は4個になる。
去年ひなげしが一個咲いた。今年は次々出てくる。真っ直ぐな茎の上に朱色の花が一つ咲く。夕方には花は落ちて茎だけが立っている。互いに数十センチ離れたところに出る。どこから飛んできたのか、近所でも見ていないし。漢字では雛罌粟らしいが、とてもそうは読めない。罌なんていう漢字があるのだ。Wikiを見たら、「虞美人草とも呼ばれる」とあって驚いた。昔漱石の「虞美人草」を呼んだことがあるが、どんな花かは知らなかった。小説の内容もほとんど忘れていて、これもWikiであらすじを確かめた。
紫陽花が青く色づき始めた。他所より遅い。合歓の花が咲いた。今年はウグイスが5月終わりころから庭で鳴いている。以前のような必死の様子ではなく、落ち着いたきれいな声だ。
今朝パートナーが玄関の外に出たら、ちょうど鹿が山のほうに走って行ったそうだ。あっという間だから声をかけてもらっても間に合わなかった。「今まで見た鹿で一番美しかった」という。角が大きく、毛並みがきれいで青みがかった模様があったとか。近くの方がすぐ後に通りかかった。きっと歩いている横を鹿が走ったのだろう。見たかったなーー!!
今月の満月は天気が悪くて見れなかったが、翌日は晴れて、十六夜の月が東南の空に薄いオレンジ色で少しぼやけて、周りに光が伸びて、幻想的な姿で現れた。多少霧がかかっていたのだろうか。満月は、丸くて大きくて張り切っていてひたすら明るいが、わずかに欠けた16日目の月はやさしく趣があるので愛でられるのだ、と聞いたことがある。読んだのかもしれない。
昨夜は月の出は見えなかった。今日早朝にふと目を覚ましたら、外は少し明るいようなので、こんな時刻に外はどんなだろう、とカーテンを開けてみた。もう風景がはっきりと見えるほどに明るかった。南東の家の屋根の上が巨大な照明が付いているかのように眩しいほと明るい。驚いてよく見ると、それは月であった。こんな時刻に月を見た記憶はない。青みがかった空を背景に、磨かれたガラスの表面のように固く滑らかな黄色い月があったのだ。寝ぼけていて眼鏡をかけない目には欠けていることは分からない。丸く大きな明け方の月であった。
今日はパートナーがベーコンを、私がフランスパンを作った。パンは30分くらいでホームベーカリーに仕掛けることができるが、ベーコンは何日もかけて準備をする。どちらも焼いている間は良い匂いがする。そしてどちらもおいしい。
ニワゼキショウが数本咲いた。子供のころ、伯母が「ヒメアヤメ」と教えてくれて、小さい紫色の花に似合う名前だと思ったが、違うらしい。
猫が新茶を飲んだ・・わけがない。今朝濡れ縁に薄茶の太った猫がじっと座っていた。猫の通り道ではあるが、縁側に座っているのは初めてだ。向こうを向いているので表情は見えないが、左の耳がときどきピクピク動く。そのうちにこちらを向いた。体つきに似合わず案外可愛い。写真を、と思ってスマホを持って近づいたら、ガラス越しなのに、警戒したのか、飛んで逃げてしまった。タマの一家はこの濡れ縁に揃って、「餌をくれ」とないていたっけ。
例年どおり八十八夜摘みの川根の新茶を購入した。煎茶は6月ごろが美味しい、と聞いたことがあるが、八十八夜摘みということだけでも、季節を感じ爽やかな気持ちになる。白い茶碗に、丁寧に淹れたお茶の緑が美しい。
昨夜パートナーが庭に出たとき、蹄のような音を聞いて驚いて見たら、門の外を鹿が走って行ったそうだ。山のほうから通りのほうに向かって行ったようだ。人家の辺りに迷い出て、何かに驚いて走ってしまったのだろう。その後鳴き声を聞いたというから、山へ戻って行ったのだろう。私は奥の部屋にいたせいか、聞こえなかった。山科駅界隈では鹿が菜の花を食べてしまうそうだし、鹿が列をなして通りを渡るところもあるようなので、この辺りに出てきても不思議ではない。実際庭に入ってきたこともあったようだし。私は残念ながら見ていない。鹿、イノシシ、クマなどの町への出没が問題になっているが、彼らの世界に人間が無思慮に入り込んでしまったのが問題なのだと思う。どうしたら良いか、など分からないが。
今年も様々な花が、高い木の上から地面の草花まで、咲いては散って行った。ブログを見直すと、毎年同じ季節に同じことを書いている。Google Photoが勝手に(?)「去年の今日」とか「3年前の今週」とかの写真を送ってくる。今年の今日も今年の今週も同じ庭の様子である。多少の早い、遅いはあっても。それで今年は写真も撮らず、ひたすら自然の移ろいを楽しんだ。今は緑が深い。なんとなく眺めていると、自分がその一部分になったような気がしてくる。
今朝ようやく(?)この辺りでもある程度の雪が降った。木々に雪が積もったが、9時半くらいには止んで、まもなく溶けてしまった。Google photoが4年前の今日の写真を提示してくれたが、今日の庭とそっくりな景色だ。
昨日パートナーが庭に動物の糞を見つけて、検索してみたら、鹿に間違いない、という。最近生えてきた草がきれいに食べられていたので、「草刈りしなければ、と思っていたけれど、しなくて済んだ」ということだった。山科駅の近くの疎水沿いの菜の花が鹿に食べられる、というので、育てている人が苦労している。この辺に鹿が現れても不思議ではない。見たかったなー!これで今までにサル、キツネ、イノシシ、イタチ、アライグマ、タヌキ、シカ、が敷地に入ってきたことになる。あと可能性はクマ?これはちょっと怖い。