左目手術から半年経った。その後の眼鏡の新調などで、良く見える。「見える」というのはこういうことなのだ、と改めて知った。目の疲れもない。手術の後遺症みたいなのは全くない。眼鏡はコンピュータ仕様になっているので、空を見るときには従来の外出用眼鏡のため、月は相変わらず2個見える。印刷物はかなり目の近くに持ってくればなんとか読める。不思議なことに裸眼で鏡を見ても目は2個になった。
入院といっても身体は元気なので(頭脳だって明晰だ!)気づくことも考えることもあって、良い経験であった。2月はコロナ第六波の最高潮だった。ヴィールス対策は行き届いており、各科の病室群に入る前に様々な儀式(?)がある。PCR検査も受けた。入院時には荷物や手続きがあるのでパートナーが付き添ってくれたが、病室に居られるのは10分限りである。職員の方々はマスクだけでなく飛沫防止用のアクリル眼鏡をつけておられたので、目の悪い私には顔の識別は難しかった。我々もマスク着用は当然であり、お湯は汲みに行けるが、ロビーでの飲食は禁止。予め渡された冊子に、「随時病室の変更が有り得る」と書いてあり、「仮にも病人だ、突然部屋を変わるというのはどういうことか?」と驚いていたが、実際にそれが起こって理由が分かった。手術の前は病室で静かにしているように、という指示にしたがっていたところ、突然看護師長さんが来られて、「今から部屋を変わってもらいます」と言われ、衣類その他の荷物はすべてベッドの上に載せるように、とのこと。静かに、どころではない。訳も分からないままにあたふたと命令(?)どおりにして移動した。ベッドもテレビもすべてあっという間に動かせるようになっている。後で分かったことは、コロナの濃厚接触者が出たせいで、色々な配慮が必要なのだった。一人部屋なのに何故動かされるのかまでは分からなかったが、ともかくこのご時世のせいなのだ。病院での勤務はいつも緊張に包まれているのであろうが、コロナ禍のなかでは普段の何倍も大変だと思う。そのなかで全員がきびきびとしかも病人が安心していられるように行動される姿には感謝と敬意を覚えずにはいられない。コロナ病棟ではそれよりはるかに厳しいだろう。感染しないことが私たちのせめての貢献だと思った。
面会はもちろん不可。ラインとスマホで顔も見れるし部屋や食事の様子など写せるので問題なかった。八階の南向きで市内が見渡せるし東山も西山も一望である。そう言って喜んでいたら「旅行気分だね」と笑われた。家とは違ってあまりすることがないので、夜は早く寝てしまう。そのために暗いうちに(2月初めだから遅くまで暗い)目が覚める。窓の外を見たら、月が東山の上のほうに眩しいほど輝いていた。広い空間の上の月というのは初めてで、なんだか神秘的な感じがした。次の日はもう少し遅く目が覚めて、東山の夜明けを見ることができた。黒い山の端が赤くなっている。以前修学院の辺りに住んでいたときにベランダに出れば見れたのだろうが、元来寝坊である。無駄に(?)早起きなどしないので、こういう風景には縁がなかった。食事は薄味で丁寧な調理である。3食しっかりご飯が出るのだけはちょっと困った。普段基本的に2食で、お昼はちょこっと何か口に入れる程度なので。食後に食器を移動式の棚に持って行くのだが、お盆を差し込むと食器がどこにあってもすっと落ち着くようにできている。
病院では検査の段階から、非常に複雑な情報が即時処理されているようで、感心していた。これも患者に安心感を与える要素である。IBMがシステムの担い手だ、とWeb-siteに書いてある。システム構築がいかに大事か、は、失敗した組織のニュースからも分かる。もちろんシステムが良いだけでは組織は機能しない。人材とその養成が行き届いているのだ。ともかく初めて知ったことばかりであった。
1 件のコメント:
「裸眼で鏡を見ても目は2個になった」ってどういうい意味?
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