2011年12月31日土曜日

大晦日

今年もあと1時間足らずになった。
クリスマス頃から気温が低くなったが、年末は少し緩んで天気も悪くない。寒さの中で梅や桜や沈丁花の蕾がふくらんできた。2-3ヶ月もかけて咲く準備をするのだ。毎年のことだけれど、「ひと目も草も枯れぬと思えば」の季節に春の息吹を感じるのは感動的だ。蝋梅はもう咲いている。
昨日はラクトに買い物に行った。あまり買いだめしないでも済む時代になったので、少しのお節用惣菜など。

2011年12月24日土曜日

クリスマスイヴ

クリスマスらしいディナーということで、サツマイモのポタージュ、アンキモのバルサミコ焼きとホウレンソウのつけ合わせ、ラムチョップと温野菜、そしてケーキ、を作ってくれた。ノンアルコールのシャンパンも。
明日まで待たずにクリスマスプレゼント。ジングルベルの鳴る紙細工、白熊ちゃん、そして不思議なバラのプリザーブフラワー。乾燥してなくて、温度によって色が変化する。
いつもありがとう。

2011年12月18日日曜日

カーペット

玄関のたたきにもカーペット。節電の要請以前からの行事。これで冬の準備は整った。玄関の明かり窓のスノーフレーク、雪の村のパブや駅にも灯りがついた。ハーゲンベルクを思い出す。今日またかぶら蒸し。

2011年12月11日日曜日

電飾

パートナーが今年度は忙しいといいながらも、電飾を完成させてくれた。6種類。太陽光発電による小さな色とりどりの灯りがフェンスとボケの木で点滅すると、ホタルのようだ。楓につけた電灯色の灯りで、まだ見ごろの紅葉が美しい。軒下には虹色のつらら(?)。同じ色合いの丸い灯りと青一色の灯りが木にともる。玄関においたクリスマスツリーの灯りもホタルを思わせる。
食卓には丸大根と揚げのたいたんや銀杏ご飯。寒さの苦手な私も心は温まる季節。

2011年11月28日月曜日

かぶら蒸し

今年はじめてのかぶら蒸し。豆腐・銀杏・慈姑入り。
昨日は未生流笹岡派の家元継承披露宴に出席した。普段の生活からは別世界。新家元の花手前、京都府知事他の祝辞、食事、など、どれも楽しめた。
先週後半にパートナーの仕事のお供で群馬県へ。京都とは山並みが全くちがう。ケープタウン周辺の山並みに似ている。帰りがけに東京で母を訪ねた。

2011年11月13日日曜日

ごま油

西川油店のごま油を買いに油小路まで。その言い訳(?)に西本願寺にお参りし、門前町界隈でお茶に。8月に行ったときは静かで門前町もほとんど何もない寂れた通りに見えた。今日は別の場所みたいに、本願寺の外も中も旗や人や華やかで大賑わい。ちょうど法要の週に当るからだろう。門前町もお祭り騒ぎだし、堀川通りの東側も本願寺関係の店が多いのに気がついた。龍谷大学のミュージアムは大谷探検隊の持ち帰った品々がたくさんあった。2-3世紀のガンダーラからの仏像など、夢を誘うようなものも多い。説明も分かりやすく、とても楽しめた。親鸞聖人関係はもちろんたくさんある。IT技術を駆使した、散逸した壁画の復元もみごとだ。その後ようやく油店に行き、ついでにヨドバシカメラにある大船鉾を見学。装飾品がないので枠組みが見えて、縄で固定されている様子がよく分かる。すごい知恵と技術だ。
ラクトで買い物。3階がもともとあったユニクロの隣に百円ショップと二トリが入っていた。電飾を買う。地下のフードショップも模様替えされていた。広島焼きの材料を買って帰宅。暖かくて天気のよい楽しい日だった。

2011年10月28日金曜日

秋明菊

シュウメイギクは菊、ではない。キンポウゲ科だそうだ。3年前に植木についてきたものが今年はじめて咲いた。白い花弁に黄色いしべ。茶の花を大きくしたような感じ。蕾の横からまた茎が伸びてかなり高くなる。今日は秋咲きの薄紫のクロッカスが急に一度に咲いた。そういえば前の道路沿いの崖に以前から咲いていた薄紫の野菊が庭にも移動してきた(?)。野菊といえば寒さと対、という気がしていたけど、今日は歩くと暑くて上着も着ていられなかった。
インフルエンザのワクチンを接種した。毎年この時期の行事で、終わるとほっとする。ワクチン接種を始めてから、普通の(?)風邪もあまりひかなくなった。理由は分からない。

2011年10月16日日曜日

10月も半ばに

9月後半から読書会の担当やカント講読の担当や科研費(分担者)の書類やらで忙しかった。その間にキンモクセイが芳香を漂わせ、白ヒガン花が葉に変わり、セミが鳴かなくなり、虫の音が賑やかになり、それでもヘブンリーブルーは毎日朝から晩まで開き、長崎アゲハがその蜜を夢中になって吸い、1年で一番小さい満月を見、気がついたら10月も半ばだ。パートナーは夏休みがなかった、というほど忙しい。とはいっても、毎年恒例の花挿展に招かれ、保養に山代温泉にも行ってきた。

2011年9月23日金曜日

モンキアゲハ

我が家のヘブンリーブルーは朝寝坊の夜更かし型だ。涼しくなったら昼間どころか夕方でもきれいに咲いている。最近はほんの少し藍色がかった深い青で、玄関前と2階の窓ぞいのグリーンカーテンが朝顔の花園になっている。今日は秋晴れの空の下、モンキアゲハが朝顔の蜜を吸っていた。窓ごしに目の前にいるので細かい模様まではっきり見える。大きさといい、自信に満ちた振る舞いといい、王者の風格だ。

2011年9月17日土曜日

白ヒガン花

今年も白ヒガン花が咲いた。株分けしたので3箇所。雑草や潅木に押されるようにして雨にも負けず。それにしても1週間ほど早すぎる。

2011年9月12日月曜日

満月

今日は十五夜。月見だんごを抹茶でいただいた。夜、最初は雲の間を移動していた(雲が移動した)。満月に照らされた雲の輝きもきれいだった。遅くなって空高く真ん丸い月。もちろん兎が餅を搗いていた。

2011年9月7日水曜日

天井の青

天上の・・・ではない。玄関の屋根は幅がある。その天井に網を張り朝顔のつるが巻きつけるようにして、天井の花園をパートナーが作ってくれた。ヘブンリーブルー(天上の青!)と紅の花が天井を飾っている。台風が過ぎて澄んだ青い空と明るい日射し。気温は下がりすっかり秋の様子になった。そして何故かミンミンゼミが庭にいる。「セミがミンミンと鳴くのは関東だけだ」とパートナーは言うのだけれど。
空は晴れ渡っていても台風の被害の後遺症は深刻だ。今度も私にできることは元気に過ごすことくらいだ。

2011年9月1日木曜日

9月

立秋以後やはり秋の気配。セミはツクツクホウシに替わり、秋の虫がリンリンと鳴いている。夕顔と朝顔がよく咲くようになった。夜の闇の中に大きなしっかりした白い花を見ると、毎年のことだけれど、元気になる。そして台風。最近の台風は速度が遅いので、一箇所の雨量が多い。被害地は大変だ。

2011年8月16日火曜日

送り火

今年の送り火は平安神宮界隈で見た。パートナーが自転車で通勤途中に大文字が見えたという場所で、大文字を斜め右から見る位置だ。広々したところなのでそれほどの人ごみにならず、ゆっくり楽しめた。その後蹴上の駅まで歩き、船形と左大文字を見た。送り火が終わると夏が去って行くような気がする。

2011年8月15日月曜日

朝顔と夕顔

朝顔と夕顔が咲き始めた。青い朝顔が一輪、西洋朝顔が勝手に(?)一輪ずつ二回、夕顔(夜顔)が三輪。

2011年8月14日日曜日

実はカメムシ、そして西本願寺

まずは訂正。テントウムシの幼虫と見えたのは実はカメムシの幼虫と判明。大人のカメムシとは似ても似つかない、テントウムシを
小型にすればそっくり。大人になって家の中に来ないことを願う。あのにおいが鼻につくと長時間消えない。
今日は西本願寺に見学に行った。改修後、私ははじめてだ。屋根の下の木組みの造り、金色の装飾、など、手がこんでいて美しく、時間と人手と財力を十分かけられる時代でないとできないものだと思う。その後旧「信徒保険会社」の建物の中を見学した。今は展示場になっている。知らなければモスクだと思うだろう。門前町でにおい袋用のお香と鈴(りん)と、西川油店でごま油を買った。空の青さと入道雲の白さが鮮やかな日だった。かなり渇水状態になったので、京都駅前の広場の横で氷ジュースを飲んだ。

2011年8月13日土曜日

テントウムシ

朝顔の葉のおかげで玄関の扉が朝日で焼けることがなくなった。触ると冷たいくらいだ。パートナーが手間隙かけて仕上げた緑のカーテンだ。その朝顔の葉や茎には多種多様な虫が生息する。今日はカマキリと生まれたてのテントウムシを見た。カマキリはあまりに茎の色にそっくりで、私の弱い視力では場所を教えてもらわないと見つけられない。テントウムシは30匹あまりかたまっていた。じっとしているので心配したが、そのうち活発に動き回り、他の葉に異動したり、と姿を消していった。飛び立つ様子を見れなくて残念。残った白い殻はすごく小さい。生まれてすぐに体が膨らんで数時間で自由に動き回っていた。

2011年8月5日金曜日

山中温泉

3日間山中温泉でのんびりしてきた。気温は京都よりほんの少し低いかもしれないが、湿度は100パーセントに思えた。渓流沿いの散歩。植生もセミの声も山科によく似ている。ミンミンゼミは家ではあまり聞かないが。一説によるとミンミンゼミは関東のもので、西のほうでは本来セミはミンミンとは鳴かないものらしい。山中の町はすっかり整備されて落ち着いた観光地になっている。でも集客には必ずしも成功していないという。やはり地震の後遺症なのだろうか。

2011年7月20日水曜日

誕生祝い

パートナーの誕生祝いに「飯田」に行った。誕生日は今日ではないのだけど、予約がとりにくい店になりつつあって、空いているときに予約した。去年私の誕生祝いをした店だ。あいかわらず宣伝はしない主義でも、ブログに書き込みもあるので名前は出してもいいだろう。そしてあいかわらず料理熱心なご主人と快活で心配りのよい奥さんの協働で楽しませてもらった。同席の北海道からのお客さんとも器の話がはずんだ。
台風は我が家のあたりには植物に水を与えてくれただけで何事もないように去っていった。今日の空の水色は特別だった。

2011年7月17日日曜日

夏風邪?

すみません、知恩寺の「手作り市」でした!
その後夏風邪かと思う軽い症状。水曜日に冷蔵庫みたいな部屋に長時間いたのがいけなかった?せっかくの大好きな夏なのに。
それでも家は祇園祭りムード。鯖寿司、鱧寿司、お皿も飾り物も鉾や山。ヒオウギを今年は靴箱の上に置いた。葉が独特の形で緑の火焔という姿だ。祭りはその地域の行事で、同じ市内でも山科は祇園祭りには関係ないのだけど、気持ちが盛り上がる。

2011年7月15日金曜日

宵々々山

昨日は宵々々山に行った。暗いほうが風情はあるけど人ごみがすごいので明るい6時から1時間ほど、鈴鹿山からはじめて、お気に入りの月鉾を遠くから近くから眺めて粽と宵山だんごを買って鉾に上った。お囃子の最中で目の前で見、聞いた。お囃子には子供も参加している。もっと小さい男女の子供たちがどこの山でも鉾でも「粽どうですか?」と声を張り上げているのが可愛い。
今日は百万遍の知恩寺ののみの市に行ってみた。買い換えたかった棕櫚のたわしを2個買えて満足。それにしても暑い日だった。太陽の照り付け方もすごい。私が「暑い」というのは夏の間でも数回だ。気温はまだ上がると思うけど、今日は「暑い」と言いたい日だった。

2011年7月14日木曜日

蝶々

ルリタテハとオオスジ(アオスジ)アゲハの違いは後者は赤い点々があることのようだ。私が先日見たのには赤が見えなかった。それ以外はみんなよく似ている。

2011年7月9日土曜日

ヒグラシ

ヒグラシ1号。疎水のどこかでないていた。疎水沿いの山に柔らかな夕日があたっていた。
今日もルリタテハが来ていた。薄紫のアジサイもまだ咲いている。

2011年7月3日日曜日

蝶々

クロアゲハが2匹というか2種類。合歓の花から花へとせわしなく動いて常に身体を震わせながら蜜を吸っていた。それにしても大きい。もう1匹紫色で艶のある羽の、アゲハよりは小ぶりの蝶が梔子にきていた。華やかな美しさだ。はじめて見た。

2011年7月1日金曜日

あじさいも

まわりの木が大きくなって日陰者になったあじさいが崖に垂れ下がりながら薄紫の花を咲かせていた。合歓の巨木に無数に花が咲いて柔らかな甘いにおいがする。梔子も今年は良く咲く。
南高梅を7キロ漬けた。これで夏への準備ができた。

2011年6月27日月曜日

南高梅

ようやく南高梅が池鶴から届いた。例年より3週間くらい遅い。しかも質の良いものが少ないそうだ。生産者は大変だろう。梅シロップがないと夏が乗り切れないから、ともかく入手できてよかった。今夜は梅洗いを優先。冷凍にして数日たったら漬ける。

2011年6月26日日曜日

サツマイモのバルサミコ煮

昨日パートナーが新サツマイモの甘煮を造ろうとしてレモンがなかったので工夫してバルサミコを入れた。これが不思議な爽やかさをもたらした。バルサミコの癖は消えて、酸味というよりひたすら爽やかな味わいなのだ。砂糖を少々あわせるのがポイントだとか。色はレモンのときより暗くなるが、ご飯のおかずとしてはこのほうが合う。

2011年6月25日土曜日

合歓と梔子と

合歓が咲き始めた。梔子も。
今年は南高梅がまだ届かない。梅は6月半ばころには漬けるものなのに。寒さで育ちが遅く、育ってもいつもほどの質は期待できないそうだ。庭の梅はなぜたくさん実をつけたのだろう。

2011年6月20日月曜日

枇杷の豊作

夕方帰ったら、先に帰宅していたパートナーの話で、カラスの大群が庭の枇杷の木と前の道沿いの崖の枇杷の木に押し寄せていたとのこと。私が帰ったときにも少し鳴き声がして、道に枇杷の実がたくさん落ちていた。昨日大量に収穫しておいてよかった。もちろん昨日より今日のほうが美味しいのだろう。人間は一番の食べ頃の前日に採って、最良のものはカラスや虫に捧げることになっているのだ。生食した残りはコンポートになっている。
今年突如枇杷も梅も桃も大量に実をつけている。

2011年6月13日月曜日

泰山木と朝顔

玄関前のヘブンリーブルーが一輪咲いた。淡い青の大きな花だ。花も茎も葉も丈夫そうで、玄関の扉を朝日から守ってくれそうだ。早朝に咲くのかもしれないが、昼過ぎまで元気なので、寝坊しても美しい姿を見ることができる。
泰山木の近くで甘酸っぱいような良いにおいがしたので見上げると、白い大きな花が咲いていた。
夏野菜シリーズ。今日はかぼちゃのサブジと、何度目かの賀茂茄子。鮎の塩焼きを自家製の蓼酢で。

2011年6月12日日曜日

枇杷の収穫

庭の枇杷の今年初収穫。小粒だけど酸味と甘みがほどよく、味が濃い。売っているのは見掛けは大きくて立派だけど、酸味がなく水っぽいので、あまり買う気にならない。
この季節は夏野菜の焼き物がおいしい。今日はらっきょ、一寸豆、ヤングコーン。

2011年6月11日土曜日

6月の食べ物

毎年6月頃に食べるもの。賀茂茄子、一寸豆、豆ご飯、鱧のおとし、鱧の子など。賀茂茄子はすでに賞味済み。今日は後の4個が食卓に。もちろんまだまだいろいろ。梅シロップの季節でもある。まず古城から。

ホタル

今出川沿いのゴヤで食事して向かい側の疎水にホタルを見に行った。ここは乱舞するほどのホタルがいるわけではない。したがって岸や橋に黒山の人だかりもない。多くても5-6匹のホタルが草むらで光ったり飛んだりする。傘をさしながら静かなホタル鑑賞ができた。・・・金曜日のこと。

2011年6月5日日曜日

庭石菖

今年も庭石菖(私がヒメアヤメと呼ぶ花!)が咲いた。小さな紫の花がさり気なく庭の草むらに群生する。
今日はパートナーの講演の日だった。後でいろいろ関連情報をいただいたり、求められたりしたようだ。最近睡眠を削って準備していたので無事終了してほっとした(本人のほうがほっとしていると思うけど)。

2011年5月28日土曜日

初物

昨日は祇園の八百屋さんに鞍馬の実山椒を買いに行った。質のよい実山椒はわずかな期間しか出ないそうだ。賀茂なすは今年2度目だけど、今日のは特上。
今年はなぜか実がたくさんつく。紅白の梅、花桃、枇杷。梅も桃も花の観賞用なので実が食用になるかどうかさえ分からないが、ともかかく鈴なりだ。
それにしても、友人の妹さんが福島県でご主人と二人牧場を経営していた。地震で家も施設も壊滅的、原発の指定避難区域、ということで牛は安全な牧場で引き取ってもらい、自分たちは他所に家を借りて引っ越す、とか。美しい牧場が廃墟になることは悲しいだろう。

2011年5月27日金曜日

あざみ

昨日まで2-3日晴れて暖かかった。昨日は蹴上のインクラインの土手のあざみを見に行った。茎の丈が高く、かたまって咲いていると華やかだ。色が濃く、開ききらないときにはほとんど赤く見える。あざみの紫は特別な色だ。
京大の構内は楠の花盛り。淡いクリーム色の小さな花。柔らかい清清しい香りがする。葉のにおいは強いけれど、これも清清しい。やはり樟脳だ。

2011年5月24日火曜日

珍しい生き物

ようやく晴れて暖かかった。庭に今まで見たことのない小さな茶色いキノコが5-6個ずつ2箇所に生えていた。小人が集まって遊んでいるようだ。年によっていろいろなキノコが生える。美味しそうだけど、もちろん食べない。触りもしない。編み笠茸だけは食べた。まだ生きているから本物だったのだろう。
郵便用のポストの扉には一部分赤い、全体としては白っぽい4センチくらいのカタツムリが張り付いていた。ギュリキマイマイらしい。準絶滅危惧種だそうだ。どこかに連絡すべきなのだろうか。隣のヒメちゃんに見せてあげたら大喜びだった。

2011年5月18日水曜日

自家製ヨーグルト

京都は観光客、とくに海外からの観光客が激減した以外は震災の影響は表立って見えない。日常生活もほとんど変化ない。でもときどき思いがけない影響を受ける。そして今まで知らなかった事実を知る。
3月に店の棚からヨーグルトが消えた時期があった。原発の問題で牛乳が確保できないのか、と思ったら、停電のために温度の調節ができなかったのだそうだ。我が家ではそれを機会に自家製ヨーグルトを作りはじめた。これが美味しい!病み付きになった。
ノンアルコールビールが入荷しないのは缶の製造ができないからだという。缶のほとんどが東北地方で製造されていた、ということなのだ。東北地方は自動車の部品をはじめ様々な製造業の中心になっていたことを知らなかったのは私だけではないだろう。集中も大事だが、分散も必要だ、ということを改めて考えさせられた。

2011年5月14日土曜日

ゴーヤ植え

黄砂は相変わらずひどいが、暖かく明るい日になった。パートナーが一階の屋根の上にプランターを上げて、今年もゴーヤを植えた。こういう行事になると1年は早いなー、と思う。
さらに季節の空気を感じたくて、四条川端の菊水まで出かけて食事した。

2011年5月8日日曜日

新茶

数日前に川根の八十八夜摘みの新茶が届いた。低温にもめげず暦どおりに育ったようだ。やはり新鮮な香りがする。川根茶はちょっと柑橘類のような香り。
昨日も今日もようやく暖かく明るい穏やかな一日だった。それにしてもパートナーの風邪は長引いている。良い季節なのに可哀相だ。私は珍しくゴールデンウィークの花粉症を免れている。

2011年5月6日金曜日

つつじが遅い

出かけようとしたら門扉と門柱に蛇がからんでいた。薄黄色と黒の縞のような色合いで、かなり長い。開けられないから小さい扉から出た。パートナーが調べたところシマヘビだそうだ。
蹴上浄水場の一般公開は昨日で終わったが、つつじはまだほとんど咲いていない。公開には何度も行ったけど、こんなことはなかった。庭のつつじもようやく咲き始めたくらい。1本輝くような光沢のあるピンクの花が7分咲きくらいのがある。こでまりが咲き始めた。ハルシオンは少ないが、今年は色が濃い。
ゴーヤの苗を買った。夏の支度が始まると、1年経つのは早いな、と思う。他のことではそう思わないのに。

2011年4月30日土曜日

おだまき

今年もおだまきが咲いた。庭は新緑に染まりつつある。去年はつつじが今ごろ目だっていたようだけど、今年はまだだ。草花もあまり育っていない。

2011年4月28日木曜日

雨の中の山桜

さくらの花びらとがく掃きが終わりに近づいたころには正面のがけ下から生えている山桜が満開になった。山桜ははなびらの数が多いからピンクの色が濃厚な感じがする。日の当たり具合で青っぽく見えたりする。それが涼しげで日射しの強いときにはとても心地よいものだ。今年は寒さと雷雨や風雨でそんな様子には出会えなかった。
今日(私は)初めて庭で鶯の鳴き声を聞いた。いつもより遅いと思う。しかも最初から上手だ。どこかで練習してきたのだろうか?!

2011年4月10日日曜日

都をどり

都をどりを観に行った。何年ぶりだろう。歌舞練場が改装されて座席が以前よりゆったりしていた。前から4列めで、花道(というのかな?)のすぐ傍だったので、表情などもよく見えた。明るくきれいで可愛く、とても楽しめた。庭園の枝垂桜がきらきらと輝いていた。お茶席でお菓子が載った祇園の紋入りの皿がお土産にもらえる。前のは割れたり欠けたりしたので、今日の2枚で補充できた。帰りは白川南通りの桜や川端沿いに上下して川沿いの枝垂桜を鑑賞し、暖かい一日を観光客した。

2011年4月9日土曜日

夜桜

今日はさすがに三条京阪あたりは人も車も混んでいた。それでも例年よりは人出が少ないとか。タクシーも修学旅行などキャンセルが多いそうだ。関東以北からの修学旅行のキャンセルは止むをえないだろう。私も高三の今頃京都に修学旅行に来た。パートナーが錦に買い物に行って、お花見ディナーを作ってくれた。にんじんと生姜を型抜きで花と花びらに仕立てた豆腐と桜鯛の鍋。木の芽は今年はじめて。庭に照明をつけて夜桜見物。今年は花の付きがすごくて、全体がピンクのクリームのようだ。白木蓮も例年の三倍くらい花が咲いた。花桃と山つつじが濃いピンクと紫で、灯りに映える。それぞれの花が独特の香りを放つ。

2011年4月7日木曜日

丸山公園の夜桜

今日も輝かしい日だった。今年の桜は色が薄く、背景の白い雲と融合している。野生のスミレが1輪。夕方急に丸山公園の枝垂桜を見に行こう、ということになって、日没を待って出かけた。雪吊りみたいに枝を吊って形を整えたせいか、見栄えがする。満開の一歩手前くらい。西の黒い空には糸月が。かがり火が数箇所で焚かれていた。時間が早いことと週日であるせいか、人ごみは昨年より少ない。場所取りの青いシートにまだ人が来ていないところも。それでも屋台が並び、夜店の茶屋も賑わっていて、ちょっとほっとした。

2011年4月6日水曜日

花桃

ようやく花桃が3輪咲いた。桜より遅れて!庭は春だ。椿の大木に真紅の花がぎっしり咲いている。白木蓮、枝垂桜、桜、桃、雪柳、ボケ。沈丁花は終わりごろだけど、まだ芳香が漂う。チューリップ、水仙。草花も色とりどりで眩しいほど。山つつじももうじき。このまま春の日々が続くかなあ。

2011年4月2日土曜日

疎水沿い

久しぶりに疎水沿いに散歩した。家のすぐ裏の橋のあたりにはときどき魚がたむろしている。大きななまずがいたこともある。今日は黒い巨大な鯉が20匹くらいいた。こんなの珍しい。琵琶湖から脱走してきたのだろう。桜も咲きかけている。ハイカーが大勢いたが、恒例のお花見バーベキューは一組も見当たらない。設置されている木のテーブルのまわりで持参のおにぎりとお茶をぼそぼそと食べているグループが2-3あるのみ。益々日本の経済活動が心配になった。

2011年4月1日金曜日

そして春に

年度の終わりに山代温泉でのんびりしてきた。去年と同じく裏山の展望台から真っ白な白山と北アルプスを眺めた。新しい古総湯(?!)が建てられていた。そのまわりを旅館が囲んで温泉街を構成していたのが特徴だとか。今でもその形を保存している。消費自粛のせいか旅館もキャンセルが多いとか。この消費自粛とはどういう考え方なのだろうか。「被災者が苦労しているのに湯につかってよい気持ちになったり、祭りで盛り上がるのは申し訳ない」と自粛するそうだが、それでは日本の社会が不活発になって沈下してしまうのだ。急に暖かくなって、帰ったらちらほら桜が咲いている。我が家の桜も夕方になって咲いてきたので「開花宣言」にした(誰に向ってでもないけど!)。それにしても桜より桃のほうが遅いって、どういうこと?

2011年3月22日火曜日

どうも対処がずれている

私には原発のことは分からないが、事故の当初からの対応がきちんとなされなかったのではないか、と多くの人も思っているであろうことに賛同する。地震、津波を含めて大災害のときには一国の長が全権限をもって、したがって全責任をもってできるだけ正しい情報収集と対処をするべきだ。もし法規に触れることがあれば、事態が収集してから責任を問われればよいのだ。組織の長は普段はうろちょろしないで、いざとなったときに自分の首を差し出すものだろう。そのための高給なのだ。被災地への支援だって、未曾有の災害で、避難場所の情報が得られないとか道路が壊れているといっても、もっと工夫はできたはずだ。災害は起こる。「二度とこんなことは起こらないように」といっても、自然災害も人災も起こる。起こったときの対処が問題なのだ。
原発事故の対処のために放射線の危険の中で作業する人たちを「命がけでやってくれている。英雄だ」などと言うのも困る。自国民を危険にさらさない最大限のことをするのが「国民の命を守る政治をめざす」ことなのではないか。命がけを英雄なんて、特攻隊賛美と同じじゃないか。
行事を自粛してその費用を義捐金に、というのが美徳として報道された。でもそれってこの際合理的なことなのか。たとえば謝恩会とか送別会を自粛してその費用を義捐金にまわすとすれば、行事をキャンセルされたホテル関係や飲食物提供業などの減収につながる。被災してない地域の者はできるだけ通常の生活をし普通に消費して、その上で寄付をするのが本当の支援だろう。一次災害が落ち着いたときに国全体の活動が低下していては被災者支援どころではなくなる。こんなこと考えるの私だけか、と思ったが、ホリエモンのブログに似たような意見が書いてあった。

2011年3月6日日曜日

庭の花

雛祭りが過ぎてから雪が降った。庭の木々も山の木々も枝に雪がつもり、空はライトブルーなのにまだ雪が舞っていて、夢のような光景だった。それでも梅の他に沈丁花が一輪、ぼけが一輪、オオイヌノフグリが数輪、椿が2種咲いている。
金・土と産大で研究会を開いた。

2011年2月24日木曜日

紅梅

紅梅が3輪咲いた。庭の左右に白梅と紅梅がそろった。

ケープタウンー6

conference excursionはバスでまずStellenbosh(ステルさんの森)という二番目に古い町に行った。古いといっても日本の古都とは古さの意味がちがう。17世紀もかなり後半の建設だ。それでも古い町並みが快い。土産物屋を目指して歩いているうちに突然ものすごい雷雨に見舞われた。傘などほとんど役にたたない。京都でいえば旧ニックのような店の軒先に入ったが雨は横から降ってくる。レジの人が「中で休みなさい」と言ってくれた。こういうところが南アフリカらしい。ここの大学は国内で唯一アフリカーンズ語による教育をするのだとか。
その町に行く途中に小さな小屋が無数というほど連なっている地区があった。ほとんど崩壊しているのもある。発展に乗れないでいる地区であり、政府が逐次住宅を建設しつつあるようだが、数が圧倒的に不足だそうだ。それに住宅だけの問題ではないだろう。こういう問題が山積しているのは分かる。それでも人々の気持ちが上向きなのも確かだ。
道中もう一つみたのは、丘の上の病院だ。古い趣のある建物と新しいビルとが隣り合っている。クリスチャン・バーナードによる世界初の脳死心臓移植が行われた病院だ。
バスツアーの最後はワイナリーでの夕食。アルコールがだめな私はワイナリーの恩恵にはあずからなかったけれど、それは美しい場所だった。バスから降りてかなり歩く。なだらかな丘の上にその建物だけがある。ぶどう畑とその向こうの山以外何も見えない。山はテーブルマウンテンと同じ質の岩山で、妙義山みたいにぎざぎざしている。夜空の星の数がすごかった。京都では二つ三つみえると嬉しいくらいなのに。

2011年2月21日月曜日

ケープタウンー5

今回は二つの学会がドッキングというより完全に融合して一つのプログラムになっていた。少しちがう分野の内容や人が分かって面白くもあるが、もっと解析学についての講演があれば、と思う。京都とHagenだけで努力してるような。ローカル過ぎ?!?
ケープタウン大学はテーブルマウンテンの裾野にあるので、Lower, Middle, Upperと三つのキャンパスから成っている。会場はUpperにある。前回は一番下の大学の施設に泊まったので、延々と坂を上った。今回はホテルの近くの旧キャンパス(今は演劇関係のみ)から学バスで最上まで行けたので楽だった。天気は良いし。ただ風の強さは普通ではない。突風がくると歩けない。身体を低くして倒れないようにする。そうでなくても足がさらわれる感じだ。もっとも現地では「こんなのは強いとはいえない」とか。冬の風がすごいそう。風で眼瞼縁炎を起こしやすい私はそんな風の中で山頂に行くのは不安でもあったが、なぜか「ま、いいか、それも覚悟で行こう」といういう気になった。気候の荒さや人間のおおらかさのゆえか、気が大きくなる土地柄だ。

2011年2月17日木曜日

ケープタウンー4

ケープタウンではGarden Courtという地域のこじんまりしたホテルに宿泊した。受付が1人いるだけの簡素なホテルだが、ワールドカップ用に改装したらしく清潔感があって、従業員が親切だ。テーブルマウンテンのすぐ裾野にある。夕方着いてとりあえず外の探検に出たとき、一瞬何が起こっているのか分からず息をのんだ。テーブル一面から厚い白い雲が下がってきているのだった。その衝撃は見ないと分からない。まさに「テーブルクロス」というそうだが、そんな優雅な感じではない。この町に来たら誰でもテーブルの上に登りたいと思うだろう。前回は天気が悪かったので今回はぜひ。「山に雲がかかっていなかったら、他のすべてはキャンセルしてタクシーを飛ばせ」というのが経験者もガイドブックもいうことだ。タクシーとケーブルをあわせても20分くらいだから、用事の合間に行ける。幸いそのチャンスがあった。上は平らで公園に造ってある。空気が少しもやっていたので喜望峰は見えなかったが、大西洋とインド洋を一度に見たことになる。暖かく穏やかだったが、天気は急変するそうで、遭難者も多いという。

2011年2月14日月曜日

ケープタウンー3

ドバイの空港ではトランジットなのにまた荷物検査があった。私の前でベルトコンベアがストップ。最近は何かとひっかかる。ぼんやり待っていたら、私の後ろの同行者に係官が「荷物を前に押せ」(Push, Push!)と命令した。客に用事を言いつける??!こんな空港ははじめてだ。同行者はほとんど訳も考えずに荷物を押していた。この空港では他にも驚くことがあったが省略。南アフリカの空港はケープタウンもヨハネスブルグも前回は工事中で外の路地みたいなところを歩かされたりしたが、今回は立派に完成していた。土産品はランドを使い切るほどのものはなかった。金ではぐんとお値段が上がるし。
ケープタウンではチェックインしたらそのカウンターの横の通路から強制的に荷物検査場に送られる仕組みになっている。これもはじめてのこと。ヨハネスブルグでは出国手続きの後に腕時計を荷物検査の箱に忘れたことを思い出し、引き返したが、出国検査官は親切で時計があってよかったね、という顔をしていた。全体として人間がおおらかだ。

2011年2月12日土曜日

ケープタウンー2

今回はエミレーツを利用した。乗り継ぎの待ち時間が3時間ほどなので、シンガポールエアみたいに空港で一晩過ごす必要がない。それ以外は評判ほどのことはなかった。機体が新しいのは安心だ。座席がゆったりしているとか、乗務員の応対がとくによかったとか、ドバイの空港がよかったとか、評判を読んだけど、とくにそういうことはなかった。(コメントの後のほうまで読むと、苦情もけっこうある。)飛行機内のトイレのメンテナンスがよくない。シンクの水はノブを押し続けないと流れない。後の人のために流しておこう、とがんばるとすごく時間がかかる。流さない人が続くと水があふれそうになる。これは設計ミスかもしれないが、たまには乗務員が気配りをすべきだと思う。その他はとくに困ったことはないが、乗務員には同じ作業をするにも旅客への心配りが感じられるところと、自分たちの業務を無事済ませることに専念するところとある。今回は後者のようだった。あと、ドバイの空港は人と何十種類(?)の香水の匂いがあふれて、目がまわりそうだった。トイレの数が不足している。それでもDirahmというはじめての通貨を持ってコーヒーを飲んだのは経験。飛行機からバスに乗る一瞬アラブの地(コンクリだけど)をはじめて踏んだ。霞んだ空に新月と星ひとつ。

2011年2月10日木曜日

ケープタウン-1

日曜日にケープタウンから帰ってきた。
玄関のたたきにカーペットが敷いてあった。また家が暖かくなった。
白梅が3輪咲いている。

2011年1月24日月曜日

ホットカーペット

キッチン用のホットカーペットがきた。日々家の中が暖かくなる。

2011年1月19日水曜日

寒い日々

年末以来休みなく寒い。京都の冬が寒いのは正常なのだけど、たまにはブレークがあるのが普通。この冬はすごく寒いか異常に寒い。北極の呼吸とラニーニャ現象の重なりのせいだとか。夜に積もった雪が次の夜に凍結して門扉が開かなかったことも。家の中は数年かけて窓ガラスを二重にしたりドアに発泡スチロールをはめたり廊下に絨毯敷いたり新しいヒータを買ったりと、パートナーが大奮闘してくれたおかげで暖かい。最低気温が-4度の予報の夜には水道管にホカロンを巻いてセーターを着せた。翌朝水が温かかったそうだ。

2011年1月3日月曜日

蝋梅の芳香

蝋梅の一枝で、部屋中に芳香が漂う。近くで見ると黄色い花びらはほんとに蝋細工のようだ。
蕗の薹がたくさん出ている。
庭の明かりの撤去。
山陰地方や東北地方では雪の災害で大変。ホワイト正月などと喜んでいては申し訳ない。

2011年1月1日土曜日

ホワイト新年

   明けまして おめでとう ございます

雪は昨夜に止んだけれど、外は真っ白。日が当たって明るく室内は暖かかった。それでも凍った雪はそのまま。夕方近所のお父さんたちが道路の雪(氷?)かきをはじめたので、パートナーもスコップを持って応援に。私は溶けかかった氷を竹箒で掃いた。

いつものお雑煮とおせちで年はじめも無事終了。

蝋梅が咲き始めた。雪の塊と一緒に枝についている。