今年もあと1時間足らずになった。
クリスマス頃から気温が低くなったが、年末は少し緩んで天気も悪くない。寒さの中で梅や桜や沈丁花の蕾がふくらんできた。2-3ヶ月もかけて咲く準備をするのだ。毎年のことだけれど、「ひと目も草も枯れぬと思えば」の季節に春の息吹を感じるのは感動的だ。蝋梅はもう咲いている。
昨日はラクトに買い物に行った。あまり買いだめしないでも済む時代になったので、少しのお節用惣菜など。
2011年12月24日土曜日
2011年12月18日日曜日
2011年12月11日日曜日
2011年11月28日月曜日
2011年11月13日日曜日
ごま油
西川油店のごま油を買いに油小路まで。その言い訳(?)に西本願寺にお参りし、門前町界隈でお茶に。8月に行ったときは静かで門前町もほとんど何もない寂れた通りに見えた。今日は別の場所みたいに、本願寺の外も中も旗や人や華やかで大賑わい。ちょうど法要の週に当るからだろう。門前町もお祭り騒ぎだし、堀川通りの東側も本願寺関係の店が多いのに気がついた。龍谷大学のミュージアムは大谷探検隊の持ち帰った品々がたくさんあった。2-3世紀のガンダーラからの仏像など、夢を誘うようなものも多い。説明も分かりやすく、とても楽しめた。親鸞聖人関係はもちろんたくさんある。IT技術を駆使した、散逸した壁画の復元もみごとだ。その後ようやく油店に行き、ついでにヨドバシカメラにある大船鉾を見学。装飾品がないので枠組みが見えて、縄で固定されている様子がよく分かる。すごい知恵と技術だ。
ラクトで買い物。3階がもともとあったユニクロの隣に百円ショップと二トリが入っていた。電飾を買う。地下のフードショップも模様替えされていた。広島焼きの材料を買って帰宅。暖かくて天気のよい楽しい日だった。
ラクトで買い物。3階がもともとあったユニクロの隣に百円ショップと二トリが入っていた。電飾を買う。地下のフードショップも模様替えされていた。広島焼きの材料を買って帰宅。暖かくて天気のよい楽しい日だった。
2011年10月28日金曜日
秋明菊
シュウメイギクは菊、ではない。キンポウゲ科だそうだ。3年前に植木についてきたものが今年はじめて咲いた。白い花弁に黄色いしべ。茶の花を大きくしたような感じ。蕾の横からまた茎が伸びてかなり高くなる。今日は秋咲きの薄紫のクロッカスが急に一度に咲いた。そういえば前の道路沿いの崖に以前から咲いていた薄紫の野菊が庭にも移動してきた(?)。野菊といえば寒さと対、という気がしていたけど、今日は歩くと暑くて上着も着ていられなかった。
インフルエンザのワクチンを接種した。毎年この時期の行事で、終わるとほっとする。ワクチン接種を始めてから、普通の(?)風邪もあまりひかなくなった。理由は分からない。
インフルエンザのワクチンを接種した。毎年この時期の行事で、終わるとほっとする。ワクチン接種を始めてから、普通の(?)風邪もあまりひかなくなった。理由は分からない。
2011年10月16日日曜日
2011年9月23日金曜日
2011年9月17日土曜日
2011年9月12日月曜日
2011年9月7日水曜日
2011年9月1日木曜日
2011年8月16日火曜日
2011年8月15日月曜日
2011年8月14日日曜日
実はカメムシ、そして西本願寺
まずは訂正。テントウムシの幼虫と見えたのは実はカメムシの幼虫と判明。大人のカメムシとは似ても似つかない、テントウムシを
小型にすればそっくり。大人になって家の中に来ないことを願う。あのにおいが鼻につくと長時間消えない。
今日は西本願寺に見学に行った。改修後、私ははじめてだ。屋根の下の木組みの造り、金色の装飾、など、手がこんでいて美しく、時間と人手と財力を十分かけられる時代でないとできないものだと思う。その後旧「信徒保険会社」の建物の中を見学した。今は展示場になっている。知らなければモスクだと思うだろう。門前町でにおい袋用のお香と鈴(りん)と、西川油店でごま油を買った。空の青さと入道雲の白さが鮮やかな日だった。かなり渇水状態になったので、京都駅前の広場の横で氷ジュースを飲んだ。
小型にすればそっくり。大人になって家の中に来ないことを願う。あのにおいが鼻につくと長時間消えない。
今日は西本願寺に見学に行った。改修後、私ははじめてだ。屋根の下の木組みの造り、金色の装飾、など、手がこんでいて美しく、時間と人手と財力を十分かけられる時代でないとできないものだと思う。その後旧「信徒保険会社」の建物の中を見学した。今は展示場になっている。知らなければモスクだと思うだろう。門前町でにおい袋用のお香と鈴(りん)と、西川油店でごま油を買った。空の青さと入道雲の白さが鮮やかな日だった。かなり渇水状態になったので、京都駅前の広場の横で氷ジュースを飲んだ。
2011年8月13日土曜日
テントウムシ
朝顔の葉のおかげで玄関の扉が朝日で焼けることがなくなった。触ると冷たいくらいだ。パートナーが手間隙かけて仕上げた緑のカーテンだ。その朝顔の葉や茎には多種多様な虫が生息する。今日はカマキリと生まれたてのテントウムシを見た。カマキリはあまりに茎の色にそっくりで、私の弱い視力では場所を教えてもらわないと見つけられない。テントウムシは30匹あまりかたまっていた。じっとしているので心配したが、そのうち活発に動き回り、他の葉に異動したり、と姿を消していった。飛び立つ様子を見れなくて残念。残った白い殻はすごく小さい。生まれてすぐに体が膨らんで数時間で自由に動き回っていた。
2011年8月5日金曜日
2011年7月20日水曜日
2011年7月17日日曜日
2011年7月15日金曜日
宵々々山
昨日は宵々々山に行った。暗いほうが風情はあるけど人ごみがすごいので明るい6時から1時間ほど、鈴鹿山からはじめて、お気に入りの月鉾を遠くから近くから眺めて粽と宵山だんごを買って鉾に上った。お囃子の最中で目の前で見、聞いた。お囃子には子供も参加している。もっと小さい男女の子供たちがどこの山でも鉾でも「粽どうですか?」と声を張り上げているのが可愛い。
今日は百万遍の知恩寺ののみの市に行ってみた。買い換えたかった棕櫚のたわしを2個買えて満足。それにしても暑い日だった。太陽の照り付け方もすごい。私が「暑い」というのは夏の間でも数回だ。気温はまだ上がると思うけど、今日は「暑い」と言いたい日だった。
今日は百万遍の知恩寺ののみの市に行ってみた。買い換えたかった棕櫚のたわしを2個買えて満足。それにしても暑い日だった。太陽の照り付け方もすごい。私が「暑い」というのは夏の間でも数回だ。気温はまだ上がると思うけど、今日は「暑い」と言いたい日だった。
2011年7月14日木曜日
2011年7月9日土曜日
2011年7月3日日曜日
2011年7月1日金曜日
2011年6月27日月曜日
2011年6月26日日曜日
サツマイモのバルサミコ煮
昨日パートナーが新サツマイモの甘煮を造ろうとしてレモンがなかったので工夫してバルサミコを入れた。これが不思議な爽やかさをもたらした。バルサミコの癖は消えて、酸味というよりひたすら爽やかな味わいなのだ。砂糖を少々あわせるのがポイントだとか。色はレモンのときより暗くなるが、ご飯のおかずとしてはこのほうが合う。
2011年6月25日土曜日
2011年6月20日月曜日
2011年6月13日月曜日
2011年6月12日日曜日
2011年6月11日土曜日
2011年6月5日日曜日
2011年5月28日土曜日
初物
昨日は祇園の八百屋さんに鞍馬の実山椒を買いに行った。質のよい実山椒はわずかな期間しか出ないそうだ。賀茂なすは今年2度目だけど、今日のは特上。
今年はなぜか実がたくさんつく。紅白の梅、花桃、枇杷。梅も桃も花の観賞用なので実が食用になるかどうかさえ分からないが、ともかかく鈴なりだ。
それにしても、友人の妹さんが福島県でご主人と二人牧場を経営していた。地震で家も施設も壊滅的、原発の指定避難区域、ということで牛は安全な牧場で引き取ってもらい、自分たちは他所に家を借りて引っ越す、とか。美しい牧場が廃墟になることは悲しいだろう。
今年はなぜか実がたくさんつく。紅白の梅、花桃、枇杷。梅も桃も花の観賞用なので実が食用になるかどうかさえ分からないが、ともかかく鈴なりだ。
それにしても、友人の妹さんが福島県でご主人と二人牧場を経営していた。地震で家も施設も壊滅的、原発の指定避難区域、ということで牛は安全な牧場で引き取ってもらい、自分たちは他所に家を借りて引っ越す、とか。美しい牧場が廃墟になることは悲しいだろう。
2011年5月27日金曜日
2011年5月24日火曜日
2011年5月18日水曜日
自家製ヨーグルト
京都は観光客、とくに海外からの観光客が激減した以外は震災の影響は表立って見えない。日常生活もほとんど変化ない。でもときどき思いがけない影響を受ける。そして今まで知らなかった事実を知る。
3月に店の棚からヨーグルトが消えた時期があった。原発の問題で牛乳が確保できないのか、と思ったら、停電のために温度の調節ができなかったのだそうだ。我が家ではそれを機会に自家製ヨーグルトを作りはじめた。これが美味しい!病み付きになった。
ノンアルコールビールが入荷しないのは缶の製造ができないからだという。缶のほとんどが東北地方で製造されていた、ということなのだ。東北地方は自動車の部品をはじめ様々な製造業の中心になっていたことを知らなかったのは私だけではないだろう。集中も大事だが、分散も必要だ、ということを改めて考えさせられた。
3月に店の棚からヨーグルトが消えた時期があった。原発の問題で牛乳が確保できないのか、と思ったら、停電のために温度の調節ができなかったのだそうだ。我が家ではそれを機会に自家製ヨーグルトを作りはじめた。これが美味しい!病み付きになった。
ノンアルコールビールが入荷しないのは缶の製造ができないからだという。缶のほとんどが東北地方で製造されていた、ということなのだ。東北地方は自動車の部品をはじめ様々な製造業の中心になっていたことを知らなかったのは私だけではないだろう。集中も大事だが、分散も必要だ、ということを改めて考えさせられた。
2011年5月14日土曜日
2011年5月8日日曜日
2011年5月6日金曜日
つつじが遅い
出かけようとしたら門扉と門柱に蛇がからんでいた。薄黄色と黒の縞のような色合いで、かなり長い。開けられないから小さい扉から出た。パートナーが調べたところシマヘビだそうだ。
蹴上浄水場の一般公開は昨日で終わったが、つつじはまだほとんど咲いていない。公開には何度も行ったけど、こんなことはなかった。庭のつつじもようやく咲き始めたくらい。1本輝くような光沢のあるピンクの花が7分咲きくらいのがある。こでまりが咲き始めた。ハルシオンは少ないが、今年は色が濃い。
ゴーヤの苗を買った。夏の支度が始まると、1年経つのは早いな、と思う。他のことではそう思わないのに。
蹴上浄水場の一般公開は昨日で終わったが、つつじはまだほとんど咲いていない。公開には何度も行ったけど、こんなことはなかった。庭のつつじもようやく咲き始めたくらい。1本輝くような光沢のあるピンクの花が7分咲きくらいのがある。こでまりが咲き始めた。ハルシオンは少ないが、今年は色が濃い。
ゴーヤの苗を買った。夏の支度が始まると、1年経つのは早いな、と思う。他のことではそう思わないのに。
2011年4月30日土曜日
2011年4月28日木曜日
2011年4月10日日曜日
2011年4月9日土曜日
夜桜
今日はさすがに三条京阪あたりは人も車も混んでいた。それでも例年よりは人出が少ないとか。タクシーも修学旅行などキャンセルが多いそうだ。関東以北からの修学旅行のキャンセルは止むをえないだろう。私も高三の今頃京都に修学旅行に来た。パートナーが錦に買い物に行って、お花見ディナーを作ってくれた。にんじんと生姜を型抜きで花と花びらに仕立てた豆腐と桜鯛の鍋。木の芽は今年はじめて。庭に照明をつけて夜桜見物。今年は花の付きがすごくて、全体がピンクのクリームのようだ。白木蓮も例年の三倍くらい花が咲いた。花桃と山つつじが濃いピンクと紫で、灯りに映える。それぞれの花が独特の香りを放つ。
2011年4月7日木曜日
2011年4月6日水曜日
2011年4月2日土曜日
2011年4月1日金曜日
そして春に
年度の終わりに山代温泉でのんびりしてきた。去年と同じく裏山の展望台から真っ白な白山と北アルプスを眺めた。新しい古総湯(?!)が建てられていた。そのまわりを旅館が囲んで温泉街を構成していたのが特徴だとか。今でもその形を保存している。消費自粛のせいか旅館もキャンセルが多いとか。この消費自粛とはどういう考え方なのだろうか。「被災者が苦労しているのに湯につかってよい気持ちになったり、祭りで盛り上がるのは申し訳ない」と自粛するそうだが、それでは日本の社会が不活発になって沈下してしまうのだ。急に暖かくなって、帰ったらちらほら桜が咲いている。我が家の桜も夕方になって咲いてきたので「開花宣言」にした(誰に向ってでもないけど!)。それにしても桜より桃のほうが遅いって、どういうこと?
2011年3月22日火曜日
どうも対処がずれている
私には原発のことは分からないが、事故の当初からの対応がきちんとなされなかったのではないか、と多くの人も思っているであろうことに賛同する。地震、津波を含めて大災害のときには一国の長が全権限をもって、したがって全責任をもってできるだけ正しい情報収集と対処をするべきだ。もし法規に触れることがあれば、事態が収集してから責任を問われればよいのだ。組織の長は普段はうろちょろしないで、いざとなったときに自分の首を差し出すものだろう。そのための高給なのだ。被災地への支援だって、未曾有の災害で、避難場所の情報が得られないとか道路が壊れているといっても、もっと工夫はできたはずだ。災害は起こる。「二度とこんなことは起こらないように」といっても、自然災害も人災も起こる。起こったときの対処が問題なのだ。
原発事故の対処のために放射線の危険の中で作業する人たちを「命がけでやってくれている。英雄だ」などと言うのも困る。自国民を危険にさらさない最大限のことをするのが「国民の命を守る政治をめざす」ことなのではないか。命がけを英雄なんて、特攻隊賛美と同じじゃないか。
行事を自粛してその費用を義捐金に、というのが美徳として報道された。でもそれってこの際合理的なことなのか。たとえば謝恩会とか送別会を自粛してその費用を義捐金にまわすとすれば、行事をキャンセルされたホテル関係や飲食物提供業などの減収につながる。被災してない地域の者はできるだけ通常の生活をし普通に消費して、その上で寄付をするのが本当の支援だろう。一次災害が落ち着いたときに国全体の活動が低下していては被災者支援どころではなくなる。こんなこと考えるの私だけか、と思ったが、ホリエモンのブログに似たような意見が書いてあった。
原発事故の対処のために放射線の危険の中で作業する人たちを「命がけでやってくれている。英雄だ」などと言うのも困る。自国民を危険にさらさない最大限のことをするのが「国民の命を守る政治をめざす」ことなのではないか。命がけを英雄なんて、特攻隊賛美と同じじゃないか。
行事を自粛してその費用を義捐金に、というのが美徳として報道された。でもそれってこの際合理的なことなのか。たとえば謝恩会とか送別会を自粛してその費用を義捐金にまわすとすれば、行事をキャンセルされたホテル関係や飲食物提供業などの減収につながる。被災してない地域の者はできるだけ通常の生活をし普通に消費して、その上で寄付をするのが本当の支援だろう。一次災害が落ち着いたときに国全体の活動が低下していては被災者支援どころではなくなる。こんなこと考えるの私だけか、と思ったが、ホリエモンのブログに似たような意見が書いてあった。
2011年3月6日日曜日
2011年2月24日木曜日
ケープタウンー6
conference excursionはバスでまずStellenbosh(ステルさんの森)という二番目に古い町に行った。古いといっても日本の古都とは古さの意味がちがう。17世紀もかなり後半の建設だ。それでも古い町並みが快い。土産物屋を目指して歩いているうちに突然ものすごい雷雨に見舞われた。傘などほとんど役にたたない。京都でいえば旧ニックのような店の軒先に入ったが雨は横から降ってくる。レジの人が「中で休みなさい」と言ってくれた。こういうところが南アフリカらしい。ここの大学は国内で唯一アフリカーンズ語による教育をするのだとか。
その町に行く途中に小さな小屋が無数というほど連なっている地区があった。ほとんど崩壊しているのもある。発展に乗れないでいる地区であり、政府が逐次住宅を建設しつつあるようだが、数が圧倒的に不足だそうだ。それに住宅だけの問題ではないだろう。こういう問題が山積しているのは分かる。それでも人々の気持ちが上向きなのも確かだ。
道中もう一つみたのは、丘の上の病院だ。古い趣のある建物と新しいビルとが隣り合っている。クリスチャン・バーナードによる世界初の脳死心臓移植が行われた病院だ。
バスツアーの最後はワイナリーでの夕食。アルコールがだめな私はワイナリーの恩恵にはあずからなかったけれど、それは美しい場所だった。バスから降りてかなり歩く。なだらかな丘の上にその建物だけがある。ぶどう畑とその向こうの山以外何も見えない。山はテーブルマウンテンと同じ質の岩山で、妙義山みたいにぎざぎざしている。夜空の星の数がすごかった。京都では二つ三つみえると嬉しいくらいなのに。
その町に行く途中に小さな小屋が無数というほど連なっている地区があった。ほとんど崩壊しているのもある。発展に乗れないでいる地区であり、政府が逐次住宅を建設しつつあるようだが、数が圧倒的に不足だそうだ。それに住宅だけの問題ではないだろう。こういう問題が山積しているのは分かる。それでも人々の気持ちが上向きなのも確かだ。
道中もう一つみたのは、丘の上の病院だ。古い趣のある建物と新しいビルとが隣り合っている。クリスチャン・バーナードによる世界初の脳死心臓移植が行われた病院だ。
バスツアーの最後はワイナリーでの夕食。アルコールがだめな私はワイナリーの恩恵にはあずからなかったけれど、それは美しい場所だった。バスから降りてかなり歩く。なだらかな丘の上にその建物だけがある。ぶどう畑とその向こうの山以外何も見えない。山はテーブルマウンテンと同じ質の岩山で、妙義山みたいにぎざぎざしている。夜空の星の数がすごかった。京都では二つ三つみえると嬉しいくらいなのに。
2011年2月21日月曜日
ケープタウンー5
今回は二つの学会がドッキングというより完全に融合して一つのプログラムになっていた。少しちがう分野の内容や人が分かって面白くもあるが、もっと解析学についての講演があれば、と思う。京都とHagenだけで努力してるような。ローカル過ぎ?!?
ケープタウン大学はテーブルマウンテンの裾野にあるので、Lower, Middle, Upperと三つのキャンパスから成っている。会場はUpperにある。前回は一番下の大学の施設に泊まったので、延々と坂を上った。今回はホテルの近くの旧キャンパス(今は演劇関係のみ)から学バスで最上まで行けたので楽だった。天気は良いし。ただ風の強さは普通ではない。突風がくると歩けない。身体を低くして倒れないようにする。そうでなくても足がさらわれる感じだ。もっとも現地では「こんなのは強いとはいえない」とか。冬の風がすごいそう。風で眼瞼縁炎を起こしやすい私はそんな風の中で山頂に行くのは不安でもあったが、なぜか「ま、いいか、それも覚悟で行こう」といういう気になった。気候の荒さや人間のおおらかさのゆえか、気が大きくなる土地柄だ。
ケープタウン大学はテーブルマウンテンの裾野にあるので、Lower, Middle, Upperと三つのキャンパスから成っている。会場はUpperにある。前回は一番下の大学の施設に泊まったので、延々と坂を上った。今回はホテルの近くの旧キャンパス(今は演劇関係のみ)から学バスで最上まで行けたので楽だった。天気は良いし。ただ風の強さは普通ではない。突風がくると歩けない。身体を低くして倒れないようにする。そうでなくても足がさらわれる感じだ。もっとも現地では「こんなのは強いとはいえない」とか。冬の風がすごいそう。風で眼瞼縁炎を起こしやすい私はそんな風の中で山頂に行くのは不安でもあったが、なぜか「ま、いいか、それも覚悟で行こう」といういう気になった。気候の荒さや人間のおおらかさのゆえか、気が大きくなる土地柄だ。
2011年2月17日木曜日
ケープタウンー4
ケープタウンではGarden Courtという地域のこじんまりしたホテルに宿泊した。受付が1人いるだけの簡素なホテルだが、ワールドカップ用に改装したらしく清潔感があって、従業員が親切だ。テーブルマウンテンのすぐ裾野にある。夕方着いてとりあえず外の探検に出たとき、一瞬何が起こっているのか分からず息をのんだ。テーブル一面から厚い白い雲が下がってきているのだった。その衝撃は見ないと分からない。まさに「テーブルクロス」というそうだが、そんな優雅な感じではない。この町に来たら誰でもテーブルの上に登りたいと思うだろう。前回は天気が悪かったので今回はぜひ。「山に雲がかかっていなかったら、他のすべてはキャンセルしてタクシーを飛ばせ」というのが経験者もガイドブックもいうことだ。タクシーとケーブルをあわせても20分くらいだから、用事の合間に行ける。幸いそのチャンスがあった。上は平らで公園に造ってある。空気が少しもやっていたので喜望峰は見えなかったが、大西洋とインド洋を一度に見たことになる。暖かく穏やかだったが、天気は急変するそうで、遭難者も多いという。
2011年2月14日月曜日
ケープタウンー3
ドバイの空港ではトランジットなのにまた荷物検査があった。私の前でベルトコンベアがストップ。最近は何かとひっかかる。ぼんやり待っていたら、私の後ろの同行者に係官が「荷物を前に押せ」(Push, Push!)と命令した。客に用事を言いつける??!こんな空港ははじめてだ。同行者はほとんど訳も考えずに荷物を押していた。この空港では他にも驚くことがあったが省略。南アフリカの空港はケープタウンもヨハネスブルグも前回は工事中で外の路地みたいなところを歩かされたりしたが、今回は立派に完成していた。土産品はランドを使い切るほどのものはなかった。金ではぐんとお値段が上がるし。
ケープタウンではチェックインしたらそのカウンターの横の通路から強制的に荷物検査場に送られる仕組みになっている。これもはじめてのこと。ヨハネスブルグでは出国手続きの後に腕時計を荷物検査の箱に忘れたことを思い出し、引き返したが、出国検査官は親切で時計があってよかったね、という顔をしていた。全体として人間がおおらかだ。
ケープタウンではチェックインしたらそのカウンターの横の通路から強制的に荷物検査場に送られる仕組みになっている。これもはじめてのこと。ヨハネスブルグでは出国手続きの後に腕時計を荷物検査の箱に忘れたことを思い出し、引き返したが、出国検査官は親切で時計があってよかったね、という顔をしていた。全体として人間がおおらかだ。
2011年2月12日土曜日
ケープタウンー2
今回はエミレーツを利用した。乗り継ぎの待ち時間が3時間ほどなので、シンガポールエアみたいに空港で一晩過ごす必要がない。それ以外は評判ほどのことはなかった。機体が新しいのは安心だ。座席がゆったりしているとか、乗務員の応対がとくによかったとか、ドバイの空港がよかったとか、評判を読んだけど、とくにそういうことはなかった。(コメントの後のほうまで読むと、苦情もけっこうある。)飛行機内のトイレのメンテナンスがよくない。シンクの水はノブを押し続けないと流れない。後の人のために流しておこう、とがんばるとすごく時間がかかる。流さない人が続くと水があふれそうになる。これは設計ミスかもしれないが、たまには乗務員が気配りをすべきだと思う。その他はとくに困ったことはないが、乗務員には同じ作業をするにも旅客への心配りが感じられるところと、自分たちの業務を無事済ませることに専念するところとある。今回は後者のようだった。あと、ドバイの空港は人と何十種類(?)の香水の匂いがあふれて、目がまわりそうだった。トイレの数が不足している。それでもDirahmというはじめての通貨を持ってコーヒーを飲んだのは経験。飛行機からバスに乗る一瞬アラブの地(コンクリだけど)をはじめて踏んだ。霞んだ空に新月と星ひとつ。
2011年2月10日木曜日
2011年1月19日水曜日
2011年1月3日月曜日
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