2011年3月22日火曜日

どうも対処がずれている

私には原発のことは分からないが、事故の当初からの対応がきちんとなされなかったのではないか、と多くの人も思っているであろうことに賛同する。地震、津波を含めて大災害のときには一国の長が全権限をもって、したがって全責任をもってできるだけ正しい情報収集と対処をするべきだ。もし法規に触れることがあれば、事態が収集してから責任を問われればよいのだ。組織の長は普段はうろちょろしないで、いざとなったときに自分の首を差し出すものだろう。そのための高給なのだ。被災地への支援だって、未曾有の災害で、避難場所の情報が得られないとか道路が壊れているといっても、もっと工夫はできたはずだ。災害は起こる。「二度とこんなことは起こらないように」といっても、自然災害も人災も起こる。起こったときの対処が問題なのだ。
原発事故の対処のために放射線の危険の中で作業する人たちを「命がけでやってくれている。英雄だ」などと言うのも困る。自国民を危険にさらさない最大限のことをするのが「国民の命を守る政治をめざす」ことなのではないか。命がけを英雄なんて、特攻隊賛美と同じじゃないか。
行事を自粛してその費用を義捐金に、というのが美徳として報道された。でもそれってこの際合理的なことなのか。たとえば謝恩会とか送別会を自粛してその費用を義捐金にまわすとすれば、行事をキャンセルされたホテル関係や飲食物提供業などの減収につながる。被災してない地域の者はできるだけ通常の生活をし普通に消費して、その上で寄付をするのが本当の支援だろう。一次災害が落ち着いたときに国全体の活動が低下していては被災者支援どころではなくなる。こんなこと考えるの私だけか、と思ったが、ホリエモンのブログに似たような意見が書いてあった。

0 件のコメント: