庭の楓が大きくなって、緑の季節も紅葉の季節も目を和ませてくれる。今は真っ赤とはいえないが、赤味が濃い葉と薄い葉、まだ緑の葉が重なって、とくに朝日が当たると透き通るような色合いになる。ささやかながら紅葉狩りを楽しめる。
それにしても、クチナシや八重桜がそれぞれ一輪ではあるが今ごろ咲いている。植物たちも気象の乱れに戸惑っているのだろう。
今日は日差しが強く風がなく11月下旬にしては暖かく、「歩き日和」だった。久しぶりの眼科の検診で、東山と丸太町の間を往復した。東大路は人も少なくマイペースで歩ける。速足で歩くのが気持ち良いのだが、着くころには汗をかいていた。長く工事中であった(秤の)イシダのビルが完成したのは5月頃だったかもしれないが、今日その前を通ってその大きさを感じた。建材がものすごく固くてがっちりした感触だ。帰りはいつものように疎水ぞいに東へ一筋。岡崎の駐車場には観光バスがぎっしり止まっているが、この辺りに人気はない。桜と楓が慎ましく紅葉していた。観光客がコロナ禍前に戻りつつあるというが、静かな場所も残っている。河原町三条かいわいも三条京阪の構内も、人出は増えたが、以前のような人波はないし、街の汚れも少ない。三条通の、地下鉄出口から東大路までの短い区間に小さい店がいくつもあったが、ほとんど閉店している。全体を壊して新しいビルでも建つのだろうか。
返ってスマホを見たら、7600歩ほど歩いたようだ。
秋の味覚の一つ、銀杏を注文してくれて、昨日は大好きな銀杏ご飯。大粒のきれいな銀杏である。沢山の殻を割って剥くのは大変だと思う。ちょうど良い力の入れ具合が必要で、私がしようとすると、殻が剥けなかったり、実をつぶしてしまったりする。
昨日は久しぶりにzoomで講演会を聞いた。コロナ禍真っ最中のときには、世の中の風潮は「早く元通りの生活に戻りたい」であって、これを機会にコロナ後の生活をより良いものにする工夫はしないのか、と思ったものだ。私の母の生前の口癖が「禍転じて福となせ」で、何か不都合なことが起こって子どもたちが愚痴をいうと、こう言って励ましてくれたので、ついそのように思ってしまう。実際には色々変わったようだ。諸々の会合も、現地とオンラインのハイブリッド形式をとっていることが多い。時間も旅費もなくても、あるいは身体の具合が悪くても参加できることは、多くの人に都合が良いはずだ。9月には「ちょっとクロアチアで講演してきた」。長いフライト疲れや時差に悩まされずに済む。今後もこういうことは続いてほしい。冬でなくてもマスクをつけて出かけても怪しまれなくて(?)済むのもありがたい。