会議最終日は荷造りのため聞くと約束した講演も失礼した。翌朝出発が早いのでその日のうちに空港近くに移動するため
午前にチェックアウトしなければならないからだ。もう一日宿泊の予定だったところを急遽予定を変更した。でもパックで先払い(ゆえにディスカウント)だから、返金はできないという。それは覚悟の上。でもそれならその日も宿泊の権利があるのだからチェックアウトは午後でもよいはず。それでも午前中にチェックアウトせよ、という。もしその部屋に客が来たら二重取り?とにかく無事出発することが第一なので、黙って去った。全体としては良いホテルだったし、天気も良くなって、快適な滞在だった。
列車ではロンドン見物する参加者3人と出会い、時間はかかるが各駅停車の地下鉄で空港まで。行きは地下鉄も列車もアナウンスがなく、イギリスらしかったが、帰りの地下鉄は各駅で駅名どころか「電車とホームの間が空いているから注意」と、丁寧すぎる案内。まさか日本を真似したのではないだろうけど。たぶん便利な機械ができて、人手を使わずにできるようになったからだろう。
ホテルのエレベータも賑やかだ。「扉が閉まります。上に行きます。何階です」。階をfloorでなくlevelという。日本でいう1階を
level 1、2階をlevel 2。イギリス式ではground floor, first floorのはずが、たぶん多くの外国人に分かりにくいからだろう。外を散歩すると1分おきに飛行機が降りてくる。ほとんどがBritish Airlinesだ。これだけでも関空をハブに、なんていう発想は萎えてしまう。
2012年7月16日月曜日
2012年7月14日土曜日
ケンブリッジ(3)
会議3日目。会議場の近くに新設(といっても20周年らしい)のNewton Instituteがあるそうだから見ていこう、と同行者が提案するので、寄ってみた。数理科学系の研究所で、ゆとりのある空間にデザインを工夫した庭やいくつもの建物が並んでいる。学問を大事にしている雰囲気が分かる。京都の数理解析研究所もそれなりの役目は果たしていると思うけれど。
午後は早めに終わり、名物puntingへ。乗り場まで歩くだけでも良い散歩。川は黒緑色。どんな成分なのだろう。濁って淀んでいるわりには匂わない。水鳥がいるし、川に羽が浮かんでいるし、羽が空中に舞っているし、かなり嬉しくない状況で緊張していたが、やがてそれらはなくなった。木陰の細い川をゆっくり動くだけで退屈でもあるけど、これが有名な学者たちの青春の場だった、と思うと、やはり興味深い。1時間ほどで船旅は終わり、Orchardというカフェ(?)で喫茶。もともとほんとに果樹園(林檎)だったそうだ。リーフレットにはその歴史とよく訪れた有名人の名が載っていた。Russellあり、Keynesあり。そこからは町まで道なき草っ原を歩く。最後に大雨が降りだした。
ホテルは古い建物を改装し建て増したそうで、2階からみえる屋根と庭が趣がある。
午後は早めに終わり、名物puntingへ。乗り場まで歩くだけでも良い散歩。川は黒緑色。どんな成分なのだろう。濁って淀んでいるわりには匂わない。水鳥がいるし、川に羽が浮かんでいるし、羽が空中に舞っているし、かなり嬉しくない状況で緊張していたが、やがてそれらはなくなった。木陰の細い川をゆっくり動くだけで退屈でもあるけど、これが有名な学者たちの青春の場だった、と思うと、やはり興味深い。1時間ほどで船旅は終わり、Orchardというカフェ(?)で喫茶。もともとほんとに果樹園(林檎)だったそうだ。リーフレットにはその歴史とよく訪れた有名人の名が載っていた。Russellあり、Keynesあり。そこからは町まで道なき草っ原を歩く。最後に大雨が降りだした。
ホテルは古い建物を改装し建て増したそうで、2階からみえる屋根と庭が趣がある。
2012年7月10日火曜日
ケンブリッジ(2)
会場への往復では牛だけでなく、馬にも野うさぎにも出あった。なにしろわけもなく(?)草っ原が広がっているのだ。2日目の最後に私たちの発表。講演は第一著者。あまり反応がない、と思っていたら、会が終わってから熱心な質問者が尋ねてきた。自分たちの仕事で行き詰まっていることの参考になりそうだ、という。夜はClare Collegeの食堂でバンケット。high tableは使われなかったが、歴代学長(?)の肖像画が懸かり、雰囲気は満点。入り口から橋を渡ると植物園のような庭が見え、建物も趣があって、ケンブリッジで2番目に古いカレッジの貫禄だ。帰りがけに土産もの屋をちょっとのぞいてタクシーでホテルへ。白夜ではないが、遅くまで明るい。この町のタクシーの運転手は誰もケンブリッジ大学を、この町を非常に誇りに思っている。それは最もだ、と思ってしまう。数百年の伝統を維持しつつ新しい組織も作ってゆく、重厚なゆとりを感じさせる。そして、地震・津波・台風がないのがすごい幸運でもある。
帰ってから2日目に改装の打ち合わせに行った。浴室のイメージ画と付属品一覧を見ながら、昔(大昔のこと)の日本家屋はものすごく単純だったのだ、と思い当たった。浴室は風呂の焚口と水はけと扉くらいを設計すればよかっただろう。部屋も電気が天井からぶら下がればよかったので、コンセントやガスの取り口やエアコンの管の出し口や、などはないから、建築士の仕事もかなり違ったものだっただろう。
帰ってから2日目に改装の打ち合わせに行った。浴室のイメージ画と付属品一覧を見ながら、昔(大昔のこと)の日本家屋はものすごく単純だったのだ、と思い当たった。浴室は風呂の焚口と水はけと扉くらいを設計すればよかっただろう。部屋も電気が天井からぶら下がればよかったので、コンセントやガスの取り口やエアコンの管の出し口や、などはないから、建築士の仕事もかなり違ったものだっただろう。
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