昨日街中のマイナンバーカードセンターに行った。烏丸御池の東南出口から少し南にある。出て直ぐが三条通、次の六角通から数歩のところ。この辺りは今まで行ったことがあるのかないのか、分からない。馴染みのないことはたしかだ。私の知っている街中は、三条河原町あたりか、四条河原町あたりのことで、山も見えるし、川も近いし、古い家屋もある。方向が分からなくなることはないし、自然から切り離された感じもない。昨日行ったところは高いビルに囲まれて、目印を知っていなければ方向の決めようがない。以前そういう経験をしているので不安だった。すでにセンターに行ってきたパートナーが、street viewで目印になる建物が入っている部分やセンターのサイトにある写真などを印刷してくれたので、無事到着できた。この辺で毎日を過ごす人にとっては、山並みを眺めて楽しんだり鹿の訪問を喜んでいるような生活は「田舎住まい」なんだろうな、と思った。
2024年1月25日木曜日
2024年1月21日日曜日
2024年1月19日金曜日
2024年1月17日水曜日
旧三条通
薬がなくなったので一か月ぶりに四宮の耳鼻科に行った。鼻が原因で喉と気管支が気持ち悪い、という、病名のつかない症状である。この数日調子が良いので、同じ薬を処方してもらった。帰りは山科駅まで旧三条通を歩く。気温は低いがよく晴れて風もなく、とても気持ちよい散歩だった。華やかさは全くないが、途中に地蔵、寺、神社、なんとか親王の墓、などが一つならずある。江戸時代か、と思うような古い建物が何軒か残っている。山科三条商店会のゆるキャラ「もてなす君」が所々に吊るしてある。紫色の風船で、「京山科なす」のイメージらしい。散歩のために医院に行ったような気分だった。地下鉄山科駅の改札口の前は賑やかになっていた。
昨夜寝る寸前に突然右手に激痛が走った。手首は以前から痛くて、色々工夫をして使っていたのだが、今は親指、人差し指、中指を全く伸ばせない。テーピングをして軽く握った状態を保ってしのいでいる。ジムに通っていた頃に間違ったやり方で腕を痛めたのが大元の原因だが、今回なぜ急に激痛なのかは分からない。しばらく様子を見よう。
2024年1月10日水曜日
ブリ大根
昨日は今冬初めてのブリ大根。ブリは刺身用のもの。冬の幸せ。
一昨日には初雪。といっても早朝に木の葉や草の上がうっすら白くなてっていただけで、まもなく溶けてしまった。昨日は初霜。雪や霜を愛でていられるのは平穏だからだ。地震の被災地で雪や雨の報道があるが、どれだけ大変だろう。
最近数回下弦の月を見た。珍しくもない現象なのだが、早起きが嫌いな私は、朝早く空を見上げることもなかったのだ。鏡のように透明で煌めいていた。左右の違いだけとはいえ、上弦の月とは全く印象が異なる。珍しさよりもちょっと不気味に感じたのはなぜなのだろう。
2024年1月6日土曜日
2024年1月4日木曜日
桜違い
1日の地震のときにパートナーが「桜の木が揺れている」と言ったので、庭の枝垂桜の枝がゆらゆらしているのかと思ったが、「あの位置からそれは見えないよ」と言われた。確かに。揺れていたのは目の前の、直径約12センチ、高さ約25センチの桜の幹の一部分であった。以前木を切ってもらったときに記念に保存している。小さいけれどかなり重く、動かすのは大変だ。床が横揺れしていたから、床とともに動いていたのだろう。2階にいた私は偶然書棚に手が触れていたが、そういうときにはすぐに書棚から離れるべきだったのだ。地震だと認識できるのに時間がかかったので、ぼんやりと揺れている書棚を見ていた。その1-2秒が命に関わるのだろう。
2024年1月3日水曜日
2024年1月1日月曜日
新年・初地震・お雑煮
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
今朝は雲が厚く、初日の出は見れなかった。昨日は赤い丸い朝日がちょうど山・建物・木々の上に出たところを見ることができた。終り日の出とでもいうのかな???
我が家の庭には勝手に生えたものも含めて、古典的(?)な植物が多い。今の季節には南天、万両、千両、真弓などの実が彩を添えている。隅のほうでは赤い椿、白いビワの花。蝋梅の咲き初め、4輪。水仙も3-4輪。ヤツデの白い花は満開なのだが、最近はヤツデそのものを知らない人も多いだろう。早春に咲く花々の芽が沢山出ている。それにしても今頃ボケの花が3輪も。
こんなふうに穏やかに過ぎていた4時過ぎ、二階でストレッチをしながらテレビを見ていたら、緊急地震速報が。能登半島の先端が赤く塗られていたので、いつもの能登の地震(それも大変なことなのだが)、と思っていたら、次の速報には近畿も含まれている。ちょうど立ち上がって書棚に片手が触れたときに、書棚も自分も横に揺れている。起こっていることを理解するのに1-2秒かかった。私は揺れに弱い。神経が攪乱されるのか、言いようのない恐怖と気分の悪さが襲う。パートナーはどこだろう、と、階段の上まで行ったら、階段の下に立っていて、桜の木が揺れている、という。そのうちにかなり深刻な災害であることが分かってきた。「令和6年能登半島地震」と名付けられるほとのことなのだ。私の恐怖感覚はしばらく続いた。パートナーにしがみついて、ようやく収まった。
とりあえず我が家は安泰で、恒例の岐阜式お雑煮を作ってもらった。黒豆、数の子、クワイと富田林のエビ芋の焼き物、栃尾あぶらげのねぎ味噌詰め、甘酒などで新年を祝った。