2023年7月28日金曜日

夕立

 さすがにこの辺りも35度近くなっている。家の中は二重ガラス戸のおかげで、前の晩の冷房が残っているようで、わりあい涼しい。それでも外の風がほしくて窓を開ける。今の季節、花はほとんどないが、緑いっぱいの庭に心が弾む。

一昨日午後に強烈な夕立があった。一瞬にして外が雨で真っ白になり、近くの山など無いかのようだった。雷鳴もすごかった。私は見なかったが、何度も稲妻が見れたそうだ。その後外は涼しくなって、25度くらいになった。昼間の高温と夕立。これって古典的な(?)正しい夏なのだと思うが、各地で最高気温の更新が記録されているようなので、やはり気候の変化が心配ではある。

2023年7月25日火曜日

かき氷

 今日の山科区の予報は最高気温36度くらい。この辺りはそれより2度くらいは低かっただろう。それでも注意はした。そして久しぶりの、自家製かき氷。レモン汁を甘くしてかけた。夏らしくて楽しい。以前清水寺に行って茶店でかき氷を食べたときに、冷たさで舌が腫れあがったことがある。氷が細かいせいなのだろうか。

昨夜パートナーが外でごそごそという音を聞き、何かが逃げた気配がしたので「鹿かも」と言っていたが、今朝紫陽花の若い葉がすべて食べられていた。鹿避け装置もかわして侵入したのだ。鹿は見たいが、木々が丸坊主になっては困る。またパートナーが対策に汗を流した。

2023年7月24日月曜日

キリギリス

 今朝パントリーの棚にキリギリスがいた。昨夜パートナーが網戸を開けたときに、何か頭に落ちてきたようだったが、それがこのキリギリスかもしれない、という。一晩慣れない環境で生き延びたのだろう。パートナーがなんとか無事外に逃がしてくれた。カマキリやバッタはたくさん見てきたが、キリギリスは記憶にない。色が深緑で、横幅があって、カマキリのようにスマートではないが、可愛い昆虫である。無事でよかった。

昨夜は明るい三日月が西の空にかかっていた。

2023年7月22日土曜日

梅雨明け

 近畿地方は20日に梅雨明けだった。17日の山鉾巡行が終わると梅雨が明ける、と言われてきたから、ちょうどそういう季節なのだ。今日も晴れて入道雲が白く輝いている。セミの数は増している。シオカラトンボが一匹。各地猛暑が叫ばれているが、7月20日過ぎて35度を越えるのは、この辺りでも珍しいことではなかったと思う。今のところガラス戸を開けてじっとしていれば汗だくになってもいないし。それにしても夏はいいな。すべてが気楽だ。

2023年7月16日日曜日

セミの鳴き初め

 昨日この夏初めてセミの声を聞いた。ごく短時間ジ、ジ、ジ、と聞こえただけで、まだ練習始め、という感じ。今日も同じよう。例年はジージーゼミやヒグラシなど大声で啼いているのだが。今年は色々遅い。ウグイスもまだ啼いているし、梅雨期の花のクチナシがまだ咲き誇っている。

今日は山科でも35度になったそう。雲のない空が澄んで透明感があり、濃い緑に当たる夕日がきらびやかだ。こういう日は暑くてもガラス戸を開けて外とつながるのが楽しい。

2023年7月12日水曜日

再生百日紅

 何年も前に老化した百日紅を切ってもらったが、切り株の横からひこばえがたくさん生えた。そのうちの1本が成長して、今年はピンクの花をいくつも咲かせている。近くで見ると半透明のきれいな花だ。

この数日各所で、とくに九州で大雨の被害が大きく、土砂崩れの後にまた大雨ということだ。今日の京都は今年初めて(?)の雷雨。その後涼しくなった。過ごし易さに感謝しなければ。

2023年7月6日木曜日

夏のウグイス

 今年は7月になってもウグイスが近くで鳴いている。庭なのか近所なのか分からないが。鳴き方は例年のように差し迫ったような必死さではなく、のど自慢かと思うように、ひたすらきれいである。

2023年7月4日火曜日

バクムーン

 昨日の満月はバクムーンというそうだ。鹿の角の生え変わりが完成する時期のことらしい。二階の窓から見えた満月はまだ上りかけで、ほとんど赤いといえる色だった。眩い月も良いけれど、赤くてちょっと柔らかい感触の月も印象的だ。

昨日、今日は気温も上がって7月らしい。祇園祭が始まっているはずだが、最近は以前のように身近に感じない。それでも庭のヒメヒオウギは濃い朱色の花を咲かせている。

2023年7月1日土曜日

カマキリの子ども

 気が付けば7月。大雨で大変な地域もあるが、この辺りは「なんとなく梅雨」という感じで6月が過ぎた。季節としてはまともだったのかもしれない。それにしても今年はクロアゲハが少なかった。

数日前に門扉の上で子どものカマキリが歩いていた。カマキリは大人も子どもも全身明るい透き通るような緑色である。なんともいえない美しい色合いだ。カマキリとかバッタとか見ていると、なんとなく彼らに同化してしまうような感覚になる。草花を見てもそうだ。こういう感覚は遺伝なのかもしれない。カマキリは孤独な生き物なのだそうである。他の個体はみんな敵なのだとか。その孤独なカマキリが「家の中に飛び込んだので捕まえてみると、十分な栄養を得ているようで、強く毅然としている。孤高を誇りに、たけだけしく生きよ」とは、亡き父の書き物の一部である。自分とカマキリが全く対等になっている感覚で、私にはそれがよく分かる。